高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

木下惠介『女の園』(1954)

脚本も木下惠介。わかってはいたけれど、やっぱり、傑作。木下惠介の才能って、監督よりも脚本にあるような気がした。まあ、門下に山田太一がいるわけで……。何というか、これぞ、「ドラマ」という感じなのである。

配役も見事。もうありとあらゆる意味でみんながハマリ役。まさに「女の園」。高峰三枝子こえーよ。ハマりすぎだよ。そして良家の子女である久我美子。まんまじゃねーか。うじうじ系の幸薄い高峰秀子。やっぱりこんな役か。活発で反抗的な岸惠子。もう地ですかあなた。

正直、これだけの役者がそろっていたら、少しでも下手だったらさぞかし悲惨なことになるであろう、と観る前は思っていたけど、なかなかどうして、それなりに力が拮抗しているのである。これは演出の妙なのか、女優それぞれの力量なのか。だって、このなかで文句なしに巧いのって、デコちゃんだけでしょうが。岸惠子様ときたらもう大(自粛)。

あと、個人的には、進歩的な思想を持ちつつも、久我美子の甘さを厳しく指摘し続け、最後には団結するトシ子様(名前がわからないのが残念)がお美しかった。そう言われると、この二人の関係はどこか百合百合しい。木下惠介だから当然と言えば当然なんですけどね。

ただ、正直、五條(三枝子様です)に、かつて人目を忍ぶ恋があり、子まで産み、かつ生き別れ、その怨念を学生にぶつけている、そしてその過去を久我美子だけが知っていて、糾弾していく……とかいうくだりは、背景として必要なのかと私は思いましたね。だって、三枝子様ってば、もう存在だけで怖いもん、十分。だから大丈夫!(何がだ)

しかし、この時代というものがどんなものであったか、まだ、共産主義者がパージされるような時代に、よくもまあこんな作品を作ったものだと思う。そういう意味では徹底的にインテリの映画なんだ。『カルメン純情す』とか『日本の悲劇』でも思ったけど、木下惠介はほんとに先見性がある。『女の園』にしても、おそらく、のちの学生運動ってこういう感じからスタートしてるんだろうから、約15年は先取りしていたことになる。

天才とは何なのか。一流とは何なのか。先見性があること、普遍的なこと、その時代を映していること。とどのつまり、「不易と流行」というところに行きつく。

最初に、「ドラマ」って書いたけど、そもそもドラマとは何ぞや。この映画、141分もあるのに、全然飽きない。とくに後半になると、どんどんテンポが速くなり、手に汗握る感じになる。群像劇として、一人ひとりの「ドラマ」が微妙に交錯していく。それがいつのまにか、映画全体の、ドラマとしての大きなうねりになっていく。そして観る側もそのうねりに呑み込まれていく。そこに、醍醐味というか、快楽がある。

どうでもいいが、学生の一人に、杉山とく子がいた。ちっとも顔が変わっていなかった。