高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

川島雄三『洲崎パラダイス赤信号』(1956)

典型的な、日本の道行き映画。どうにもこうにも別れることができない男女。確か成瀬己喜男が、『浮雲』のゆき子と富岡が別れられなかったことを、体の相性がよかったからだと解釈していて(この辺かなり記憶が怪しい。高峰秀子の証言だったか)、思わず膝を打ったのもはるか昔。

新珠三千代三橋達也が、こんなにも魅力的な俳優だったとは! 惚れた。惚れました。

まず、冒頭のタイトルバックからしてすごい。えんえんと俯瞰で遊郭街を撮っている。客を引く女と客とのやり取りなんかも映し出される。1958年の売春防止法で消滅する直前の洲崎を撮っている(ロケ)ので、ここだけでももはや文化遺産なのである。

そして、主人公二人を絶賛しといて何ですが、飲み屋「千草」の女将(轟由起子)の存在感がすごい。宝塚の新旧対決? とくに、何年ぶりかで女将の蒸発した夫が帰って来る→女将、派手な着物を着て女らしくなる→つかの間の平和→夫、殺される、という展開はすごかった。見ごたえあり。

殺された、パトカーだと言って人々が集まり、ムシロをかけられた死体が映しだされる場面で、一瞬観客は、主人公の新珠三千代三橋達也だ、と思うのである。ところが実際は女将の夫。ここは、たとえば樋口一葉にごりえ」のラスト、お力と源七を彷彿とさせるもので、いわば伝統に支えられている。

この騒ぎのなかで、離れていた主人公二人が再会し、よりが戻ってしまう、というのもよかった。

なお、新珠三千代演じる蔦枝を囲う羽振りの良い電気屋の落合さんは河津清三郎である。私の大好きな俳優である。何というか、この人ほど、女を囲う役が似合う人も珍しい。

また、若き日の芦川いづみが、蔦枝とは対照的な、堅気で可憐なソバ屋の少女として登場。そこで働く義治(三橋達也)。見ているうちに、「達也、悪いことは言わないから蔦枝でなく玉子(芦川)にしろよ」と思うのだが、義治は蔦枝がいいんだし、蔦枝も義治がいいんだからしゃーない。似た者同士で惹かれあう、これもまたしゃーない。

新珠三千代は、これもまた絶賛しといて何ですが、ここまで崩れた役は、あまり似合わないと思う。一番いいのは、貞淑ななかに情念を秘めた人妻の役とかですかね。あとは二号さん(死語)。エロスを秘めた淑女をやらせたら、この人の右に出る者はちょっといないんじゃないかとさえ思う。

しかし、川島雄三、うまいなあ。洲崎が舞台なのに、結局、映画の中では一度も「中」の様子は描かれない。徹底してその外での出来事が描かれる。主要な舞台である「千草」は、洲崎パラダイスの入り口にあるのだ。