故・淀川長治氏がこの映画を絶賛していたように、わたくしも、まず、この映画を企画したすべての方々に敬意を表したい。
サイレント時代の大女優リリアン・ギッシュ(当時93歳)、そしてアメリカ映画が誇るこれまた大女優のベティ・デイヴィス(当時79歳)が姉妹役を演じている。何気ない夏の二日間が、とくに大きな事件もなくたんたんと、しかし無類に美しく描かれている。
映画のなかでは、リリアン・ギッシュが妹役なんですが、いや、私はこれまでに、こんなかわいいおばあちゃんを見たことがない(ちがった意味で『毒薬と老嬢』のばあちゃんは好きだが)。そして、ベティ・デイヴィスときたら、期待通りに偏屈な老婆(目が見えない)を演じていた。
老いというものをいやでも考えさせられる。姉妹は、鯨が来るという言い伝えがある海を見下ろす岬のそばに二人だけで住んでいる。姉妹目線での海のカットが何回も入り、波の音とともにそれが映画全体のゆったりとしたリズムを作る。
リリアン・ギッシュに圧倒されたシーンがひとつ。彼女は、若くして夫を戦争で亡くしている。その夫との46回目の結婚記念日を、夜中にひとりで祝う場面。リリアンはドレスに着替え、化粧をし直し、ロウソクに火を灯し、ワインを開ける。ここで、一気に「スタア」の風格みたいなものが溢れるのだ。まるで後光がさしているかのようである。「ああ、この人はまぎれもなくスターだったんだ」といやがうえでも納得してしまう。
ベティ・デイヴィスは、私の最も好きな女優さんのひとりなんですが、彼女の部屋に飾られている若かりし頃の写真が、ちゃーんと若い頃のベティなんですよね。うれしかったです。芸が細かいなあと思いました。古い映画が好きな人には、こうしたところもたまらんはずだ。
くわしいストーリーはまあ置いておいて、ラストシーンだけ。それまで、ちょっとした言い争いなんかがあった姉妹は、仲直りをして岬に出て海を見ることにします。ここからがほんとに素晴らしい。まるで小津映画のように、二人が出て行ったばかりの部屋のカットがいくつも入る。揺れるカーテン。いずれこの世から去っていく二人というものを暗示している。この映画の主人公は老姉妹であり、海であり、家なのである。
それにしても、鯨が来る海というのは、何と美しいメルヘンなのだろうか。しかも、八月。夏は終わる。鯨は来ない。
来年の夏、二人そろって、鯨を見ることはあるのだろうか?