しかしこの映画、時代劇と言ってもいかめしいものではなくて、テンポがよく、何と言ったらいいのか、初期の映画、いや活動写真的な、スラップスティックコメディの要素が満載なのだ。ちょっと変な表現になりますが、映画は、動く映像である以上、さかんに動かしてナンボである、という、誕生の頃の名残をとどめているのが楽しい。
ストーリーとしては、百万両のありかが描かれた秘図をおさめたこけ猿の壺を奪い合うという単純明快なもの。しかしこの争い、阪妻演じる丹下左膳の一派、高田浩吉を中心とした柳生一族、柳生の道場を乗っ取ろうとしている師範(大友柳太朗)と将軍様のあかすり役である菅井一郎のグループの三つ巴なので、俳優の顔の識別ができないと辛いかもしれないです。当たり前ですが、みんな髷を結ってますし。
また、あちこちに噛んでいる与吉(三井弘次)の存在が混乱を招く。三井さんはこういう一癖も二癖もある役をやらせたら右に出る者はなく、今でいうと火野正平にちょっと似ている(反論が来そう)。小悪党で、動きが何とも言えず軽くて、粋。
また、菅井一郎の胡散臭さと滑稽さが半端ない。ようやく壺を手に入れ、さすがに天下一品の何とかだ、などと感心する。ところが、いざ壺を取り出し眺めてみると、それが蚊取り線香を入れる陶器(何て言うんだろう……あのブタのやつです)だとわかり、怒り狂う。ベタだ。だが、ベタだからこそ笑った。
あと、私はこの映画で初めて高田浩吉を見ましたが、「スター」でなくいかにも「スタア」って感じがしましたねえ。あと、悪女役の村田知栄子の存在感。成瀬己喜男の『稲妻』における、気性の激しい長女・縫子役の印象は今でも鮮やかですよ。
いやあ、やっぱりドラマは脇だよな! うれしくて体が震えちゃうよ!
…とか言いつつ、結局、やっぱり阪妻! 淡島千景演じるお藤に頭が上がらないくせに、剣の腕前は天下一品、情に厚い。まあそれはそれはカッコいい、愛すべき男を演じています。私、本当に阪妻が好きなんですよね。でも、こういう俳優はいなくなってしまった。そもそもヒーローがいなくなってしまった。ヒーローが成り立たなくなって久しい国、それが日本。いや世界的にそうだな。
1952年の作ということは、映画界に入ってたったの2年しか経っていない。それなのにこの人の演技の水準はやはり高い。大スタアの阪東妻三郎に負けず、きちんと、鉄火肌の姐御を演じているのである。その見せ場は三つ。
まず、彼女お得意の、男に物を投げる、すりこぎで殴る、どやしつけるシーン。早口でポンポンまくし立てる、その歯切れの良さ。それから、阪妻の前で三味線を弾き歌うシーン。当然のごとく吹き替えなし。キャリアが違うのでモノが違います。この人のすごさのひとつは、やることのできる芸事の幅広さとそれを支える教養。それに、時代劇なのにどこかモダンでもあるところ。
和服を着てこれだけ機敏に、かつ美しく走れる人は、空前にして絶後。その後、左膳に刀を投げて渡すときも、その動きは際立っています。ここで彼女はほぼ紅一点、刀が飛び交うなか、大勢の男の中を縫うようにして何度も左膳に刀を渡そうとする。すんごい迫力。もちろん、演出とカメラワークの力もあるけれど、それだけじゃない。コメディはやはり、軽快な動きが大切なのである。
とにかく、全体的にこの映画、動きの面白さや美しさという、いわば視覚的な快楽を存分に味わうことのできるものとなっております。やはり映画はこうでなくては。