高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

伊藤大輔『王将』(1948)

今さら説明するまでもない、伝説の棋士・阪田(坂田)三吉の一代記を映画化したものであるが、私にとっては、阪東妻三郎なる役者を初めて見た作品として、深く心に刻まれている。はっきり言って一目惚れ。

こんな役者、後にも先にもいない。何を書いても、その全貌を伝えることはできないという感じである。それは私の筆力のせいばかりではない。何というか、上手い下手なんかを超えて、しみじみ、人間っていいなあと思わせるような稀有な役者なのだ。

はじめの方で、三吉が一心不乱に将棋を指しているシーンが出て来るんですけど、その背中の丸め方とか、考える姿とか、一切合財、何なんだこれは!と思いましたね。溢れ出るものの豊かさ。

主人公はとにかく無類の将棋好き。大阪・天王寺あたりで草履づくりをしているが、もちろん仕事なんかそっちのけである。この、三吉一家の暮らす共同体の貧しさが何とも言えない。

いいシーンと挙げろと言われたら、それこそ全部がよいのだが、たとえば、三吉の娘・玉江が赤ん坊を背負って子守唄を歌うところなんか、ちょっとしたシーンなのに、ぞっとするほどよい。大阪、というか、情緒的な日本の共同体の姿を、いちいち鮮やかに見せている。

また、たとえばこんな場面。将棋ばかりの夫に愛想を尽かした妻の小春(水戸光子)が出て行こうとしたところに、三吉が帰って来る。近所の人間はあわてて、子どもたちを家の外に出し、夫婦を二人っきりにさせる。これはつまり、仲直りをするためにはとりあえずヤッちまえ、というのを暗に示しているのである。人間の生活の知恵以外の何ものでもない。とくに、こういう世界では。ここ、リアリティあったなー。

音楽の入れ方が巧い。オイチニイの薬売り(一種の行商)、玉江の歌う「汽笛一声新橋を……」とか、風俗がしっかり映画を支えている。

水戸光子も良い。将棋をやめろと言った自分は悪い女房だ、日本一の将棋指しになれ、と言う。ある時代の日本の夫婦の理想のかたち。ちょっとおかあちゃんが入っています。まあ、今だったら各方面から非難されそうだけど。保田與重郎の日本浪曼派ふうに言えば、「女は度胸、男は愛嬌」(逆じゃないよ!)の典型でしょうか。しかしこの映画の世界は、東京では描けないような気がします。

成長した娘・玉江の三條美紀がこれまたすごい。彼女、京都生まれだから、関西弁がまあ素晴らしいこと。しかも、きれいでかわいいって何だよ! 長回しのセリフで、姑息な手を使って勝った父を詰り、本物の将棋指しになれ、と訴えるシーン、まじすげえ。痛いところを突かれて激高するも、自分の非を認めて号泣する阪妻、これまたすげえ。

美人でしっかり者の妻と娘に支えられ、好きな将棋を好きなだけやる阪妻、まるで赤子である。

ところで、ここでは関係がないが、この可憐な玉江、もとい三條美紀が、約30年後、『犬神家の一族』において、あの恐ろしい三姉妹のうちの二女・犬神竹子になるとは、いったい誰が予想したであろうか。

ラスト近く、坂田三吉は、終生のライバル・関根八段が名人になったお祝いに、自分の作った草履を贈るシーンがある。ここで私は号泣した。関根名人は、いわば将棋界のサラブレッド。三吉は出自貧しく、学もない。一足の草履に、坂田三吉の人生がすべて詰まっている。阪妻はそれをちゃーんと演じていた。

こういう役者を持っていた日本人というのは、ほんと、幸せだったんだなあと思います。