高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

エルマンノ・オルミ『木靴の樹』(1978)

 福島県いわき市に住んでいたころ、ちょっと風変わりな先生がいた。公立学校を停年退職し、非常勤で来ていた人だったが、珍しいぐらい本物のインテリだった。私はその頃、そういう人にとても飢えていたので(たまたま、毎日の同僚との会話が、仕事以外では高校野球とかママさんバレーとか、そのぐらいしかなかったので)、話が長いのが玉に瑕ではあったけれど、その先生にはよく向かっていったものである。

  岩波ホールの映画が好きだというその先生(これだけで、だいたいどんな人かがわかるだろう)は、ある日、自分の人生を変えた映画である『旅芸人の記録』そして『木靴の樹』がいかに素晴らしいかを滔々と語った。どちらも、映画史に残る傑作として知ってはいたが、幸か不幸か、私はまだ観ていないと言うと、その翌日にはわざわざDVDを持ってきてくれた。私はありがたく、その『木靴の樹』を借りることにした。

  ジャケットをしげしげと眺めてみると、主人公の少年があまりにも甥に似ていて、訳もなく胸が詰まった(私にとって甥は特別の存在である。血縁で、こんなに自分に似ている人間はいないからだ。彼の表情に、私は自分の知らない自分の幼い頃を見出す)。

  『木靴の樹』は、生きている間に観ることができてよかった映画であり、同時に、今までに観ていなかったことを痛切に恥じた映画だった。久しぶりに、生きているのがいやになるような映画を観た、とも思った。中学生の頃、私は毎週、映画を観てはこんな気持ちでいた。次にそんな経験をしたのは、大学生、それこそ文学史に残るような作品を読むようになった時期だ。つまり、ちゃんと生きていた時だ。だが、年を重ねるにつれ、これでは身が持たないと思ったし、研究の道に進んでからは、無意識に対象との適切な距離を取ろうとする癖をつけたが、『木靴の樹』を観たときの自分はまったくの無防備だった。

  音楽はバッハである。これは一歩間違えば滑稽である。しかし、この映画は、バッハの荘厳さに映像が負けていない。むしろ、バッハでなければだめだとさえ思うのである。貧しいという言葉ではとてもおさまらないような世界。地主がひどいとか、小作は厳しいとか、そんな甘ったるい世界ではない。生きることが重いということ。ただそれだけだ。自然光で撮られた映像は、もう無類に美しい。洗濯女の洗濯する布の鮮やかな白さ。どれだけきれいに洗っているのか。冬の河原で。そしてどこでも、洗濯する者というのは、最下層に身を置く人間でもある。

  そして、何と言っても、主人公の少年・ミネクである。正直、涙なしには見られなかった。どうして靴を壊してしまったんだよ!と叫びたくなる。いや、地に伏して地を叩くレベルである。割れた靴をひもで縛る。うまくいかない。靴を脱ぐ。靴下を脱ぐ。裸足で歩く。靴下は、汚せないし壊せない。肩掛けカバン。貧しい村に暮らしながら、学校に通わせてもらっているミネクは、それだけ利発な子なのだ。家ではノートを開いて勉強している。哀切きわまる。

  その子のために、地主所有の樹を切って靴をつくってしまう父の愛。それがもとで追い出されるわけだが、馬車に乗せられて、涙を流し、鼻水も流しているミネクの顔。ラストが、冒頭のシーンと繋がる。ミネクは優秀だからと教師に説得され、貧しいのを無理に学校に通わせたひずみが、結果的に悲劇を招いてしまったことに、観るものは気づかされる。ヨーロッパはどこかしら残酷である。それは、その領土をめぐって夥しい血が流されたからなのか。島国の日本や、楽天的な開拓精神のアメリカとは何かが決定的に違う。

  セリフがほとんどない。むしろいらない。言葉というものがいかに頼りなく、情けなく、何より胡散臭いものだということかがよくわかる。ミネクが靴を壊してとぼとぼと歩く後ろ姿は、百万の文学を凌駕する。ミレーの絵を思い出させる風景(調べたら同じ時代だった)。ワンショット、ワンカットにおさまる農民たちの動きは、ある程度計算されたものなのだろうが、そのぎりぎりの技巧と自然さに唸らされる。補助金をもらうために、修道院から子どもをもらう若夫婦。こっそり工夫して、トマトが早く収穫できるようにする老農夫。落ちている金貨を靴で踏みつけ素知らぬふりをする者。夜、みんなが集まる。誰かが昔話をする。皆、必死になって聞いている。ただ、それだけなのだ。

  一言で表現するならば、人々がなぜ神を信じるようになったのか。なぜ宗教が生まれたのか。それが理解できるような映画。やりきれなくすがすがしく、もう一度観たく二度と観たくない、そんな映画。