ジャック・フェデーにしろ、ジュリアン・デュヴィヴィエにしろ、ルネ・クレールにしろ、戦前のフランス映画というのはもう言うことなしに素晴らしい。何を観ても、阿呆のように、すげー、としか思わぬ。
で、フェデーの『ミモザ館』である。大好きなフランソワーズ・ロゼエ(ロゼーだとどうも感じが出ない)の主演ですから、ハズれなわけがない。
ピエール12歳の誕生日、父親が出所し、ピエールを連れて行ってしまう。この直前に、学校でルーレットの賭けをし、カネを儲けているピエールのシーンがある。金を儲けることより、そのスリルに取り憑かれているピエール。将来がさりげなく暗示される。
10年後、1934年。父と死別したピエールは、絵に描いたようなダメ男になっている。たびたび金の無心をし、ヤクザの情婦ネリーと通じて半殺しの目にあったり、詐欺まがいの仕事をしている。
「おばさん」ことロゼエは、何かと世話を焼く。お定まりの母性愛と異性愛の相剋、これを演じるロゼエはさすがに巧い。
というか、あまり美人ではない(日本人の感覚だけど)からこそ、そして若くないからこそ、その侘しさ、哀しさが際立つ。 ピエールがミモザ館に帰って来るという日、朝から美容院へ行き、マニキュアなんかをしてしまうところは、直視するのがつらかった。
つまり、それだけ私も年を取ったのである。
それにしても、ジャック・フェデーってば、ロゼエの夫でしょ?よくこんな哀しい、侘しい役をやらせたよなー。とにかくすごい女優さんだよ。ちょっとした表情とか、もう、セリフなしでもわかるもんね。さすがコメディ・フランセーズ。
ピエールはネリーをミモザ館に呼び寄せる。ネリーとロゼエは当然反発しあう。ここから、映画はいっそうドラマチックに進む。
ネリーは次第に浮気や浪費を重ね、彼女を繋ぎとめたいピエールは、ミモザ館を出て、二人で家を借りて住むことにする。それを聞いたロゼエは、ヤクザのボスにネリーの居所を知らせる。わー陰険。
その頃ピエールは、まとまった金を手に入れるため、仕事の売上金を持ってカジノへ。
ミモザ館に戻ったピエールは、全てを失っている。
「あなたのため」というロゼエ。このあたりのウザさはもはや王道。別人のように冷たい顔をするピエール。ロゼエは、ピエールのためにカジノへ行き、大儲けをする。 ミモザ館に戻ると、ピエールは自殺を図っていた。
さすが「小説」を生んだ国、フランス。19世紀リアリズムのような、救いようのない世界。筋立ても心理も大変わかりやすい。
で、ひとつ、非常に感心した、映画ならでは、という表現。
キスシーンの処理である。
ネリーと情夫、あるいはネリーとピエールがキスしようとすると、画面がフェードアウトする。はじめは、あれ、検閲?と思ったが、いやいやフランスはそんな国じゃない。
ラスト、死にかけているピエールは、手を握るロゼエをネリーだと錯覚する。キスしてくれというピエールに、ロゼエは唇を重ねる。ここは、しっかり映される。
つまり、このキスシーンを際立たせるために、それまでの一切のキスシーンをフェードアウトにしているのだ。
これは、映画にしかできない。こういう、「それでしか表現できない」ものに出会うと、私はうれしさに身悶えしてしまうのである。