高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

エドマンド・グールディング『グランド・ホテル』(1932)

のちのち、グランド・ホテル形式なるものを生んだ元祖。ベルリンのホテルを舞台に、さまざまな人間模様が交錯する(あらすじが一行で済む)。

私は1930年代の映画を偏愛する。国は問わない。そしてそれは、1929年にアメリカから始まった世界恐慌を抜きにしては語れないのであります。30年代の映画というのは、空前の不況だったにもかかわらず、それを微塵も感じさせないような豪華さに満ちているものが多い(しかし同時に、世相を色濃く反映しているシーンも多々あったりするところがまたよい)。

 そこに、不況なんかに負けないぞ、というか、とにかく、ものづくりに携わる人たちの心意気みたいなものをひしひしと感じるのである。そして、この時代の観客もきっと、映画を見ている間だけは、現実の苦しさをしばし忘れたんだろうなあと思うと、どうにもこうにも胸が熱くなってしまうのです。

で、この『グランド・ホテル』も、MGMのオールスターキャストだし、とにかくセットが豪華! 当時はかなりヒットしたらしく、アカデミー作品賞を受賞しています。いささか冗長だなあと感じる部分もありましたが、登場人物の交錯のしかたは、後年、この形式を踏襲したいろんな作品とは段違いに微妙かつ繊細で、それは素直にすごいと思いました。

主な登場人物は、落ち目のロシア人バレリーナグレタ・ガルボ)、会社が危機に瀕している社長(ウォレス・ビアリー)、彼に雇われた貧しいタイピストジョーン・クロフォード)、借金に追われた男爵(ジョン・バリモアドリュー・バリモアのおじいちゃんですな)、会社をクビになり、しかも余命いくばくもないと宣告された老人(ライオネル・バリモア。ジョンの兄)。

ざっとこれだけからもわかる通り、豪華だけど時代を反映しているし、全体的にほろ苦い話であり、つまりは「大人の映画」なのだ。

人気の凋落によりすっかりふさぎこんでいるガルボは、自殺さえ考えている。しかし私は、ガルボの演技が下手すぎて(というか、大げさすぎて)、不謹慎にも笑ってしまいました。背が高いからよけいに大味に見えてしまうんだよなあ。何か、こちらが恥ずかしくなってしまうような感じ。

でも、男爵と恋に落ちてからのガルボはすごかった。特にラブシーンが。この色っぽさは絶品である。これでは、たいがいの女優はまるで小娘ではないか。ガルボの鼻息ひとつで吹き飛んでしまうだろう……。ジョン・バリモアの男爵がまた色男なので、何というか、壮絶な感じさえしましたよ。

この男爵は、ガルボと旅に出るために、会社社長の部屋に忍び込むも、格闘の末にあっさり殺されてしまう。この翌朝のホテルのロビーの場面はすごい。警察に連行される社長。何やら物々しい雰囲気。そこにガルボがやって来る。彼女は男爵が死んだことを知らず、しかも、彼と新しい人生を始めることができる喜びでいっぱいのまま、「先に」ホテルを発つんですね。いやはや。

個人的に、この映画でいちばんよかったと思うのはジョーン・クロフォード。いやあ、ほんといい女優さんだよ。スタイルもいいし、演技も巧いんですが、何と言っても叩き上げ感がハンパない。

彼女が演じるタイピストは、不況の影響をもろに受けて、貧乏なんですね。精一杯身なりなんかも美しくしているのだが、心の中は結構絶望的。だから、男爵にほのかな恋心を寄せつつも、社長の誘惑(金)に負けて、ついに体を許す覚悟を決める。しかし、そのホテルの部屋で、社長が男爵を殺してしまうという惨事に遭遇します。

初めから終わりまで、貧しく若い女性が必死で生きていく感じがすごくよく出ていました。ちゃんと演技に連続性がある。それは間違いなく、細かい部分の演技の積み重ね。だから、役に説得力があるわけです。

まとめれば、ガルボがこの上ないロマンスを見せてくれたとするならば、クロフォードは見事なまでのリアリズムで表現した、というところでしょうか。

この映画のラストは、とても印象深いものでした。朝を迎えたホテルは、ほろ苦い思いを残しながらも、次々と宿泊客が去っていく。そしてこのお客たち、実は皆、ドイツ人やロシア人。そこに、飛行服姿の颯爽とした若い夫婦が、新たな宿泊客としてやってくる。ひと目でわかる。そう、何の翳りもない彼らは、アメリカ人なのです。