この映画、脚本は新藤兼人である。新藤兼人という人は、その著作(『日本シナリオ史』上下巻や『シナリオの創造』『シナリオの構成』とか、ずいぶんお世話になりました)を読んでも、第一級の脚本家であることは間違いなく、そして映画はやっぱり「ホン」だよなあと思う。監督が脚本を書かなくなってから映画が衰退したと言われるのは、その通りだと思います。骨組みなわけですから、そこが脆弱だったら、いくら肉付けしてもガタガタにはなるわな。
それにしても、面白かったですわあ。大メロドラマ『夜の河』のクドさはいただけなかったが、この作品は吉村監督のアクの強さみたいなもんがコメディに生かされていてよかった。大映的(個人的にはイコール「関西的」)クドさは、ぜひともコメディに生かすべし。大映らしい映画。しつこいが、ああ、これぞ大映(話も、色も)!原作は源氏鶏太です。サラリーマン物、みたいな感じに一応分類されるんだろうか。こうしたいわゆる「中間小説」ってのは、めっぽう面白い。
妻を亡くし、定年退職を迎えた山村聰(コメディできるんだ!さすが)演じる父親が、退職金を4人の娘に公平に50万ずつ分配したところから物語は始まる。父の取り分も50万。なお、父とこの娘たちは、それぞれの「事情」を抱えている。
父 → 行きつけの飲み屋の女に入れあげている。
長女(若尾文子)→ 職場の上司と不倫中。
二女(叶順子) → どこからどう見ても悪い男と付き合っていて、あっさり50万を渡してしまう。
三女(三条魔子)→ 地味でおとなしい。家庭を切り盛りしている。なお、縁談が二度壊れている。
四女(渋沢詩子)→ 末っ子らしくちゃっかり者。50万を元に、同僚相手の高利貸しを始める。
山村聰がのめり込んでいる飲み屋の、これまた何とも言えない下品な女、これが見終わったあとで藤間紫だったとわかり、しばし固まる。あの藤間流の家元で、市川猿翁と結婚した藤間紫である。だからこそ、というのはおかしいが、この映画におけるこの人の品のなさは一見の価値あり。
月丘夢路が抜群によい。存在感というか格というか、キャリアの違いというか……『晩春』のアヤさながらの、しっかりしたコメディエンヌっぷり。若尾文子が、意外に精彩がなかった。もう少し先だろうか、独特のスター化けるのは。二女の叶順子の方が華がありました。
ところで、この叶順子と、彼女と付き合う悪い男・田宮二郎の二人が何度も入ろうとする連れ込み宿、あれはおそらく渋谷、道玄坂。そこで姉の若尾文子を見かけるシーンが笑える。一家が住むのが吉祥寺だから、井の頭線ってことでやっぱり渋谷だろう。そういうことを想像するのも、古い映画を見る楽しみのひとつだったりする。
あと、はじめの方で、山村聰と藤間紫が入る連れ込み宿(私はよっぽど連れ込み宿が好きなのだろうか)、これも笑った。聞こえてくる音楽はクレイジー・キャッツ。時代を感じる。外には「○○トルコ」のネオン。今なら放送禁止レベルである。
そして特筆すべきなのは、宿の風呂の壁面。これがもう、春画がベタベタなのである。この当時はこれが普通だったんですか? もし私がこの場に臨んだら、たぶん笑ってそれどころではなくなるか、興が殺がれるか、いずれにせよ、こういう場所にせっかく来た目的は果たされることなく終わると思う。
いろいろあっても、まあそこはホームドラマ、最後は落ち着くところに落ち着きます。
父 → 月丘夢路とくっつく。
三女 → 父の職場の部下とくっつく。なお、私はこの男優に一目惚れをしてしまう。川崎敬三でした。
四女 → お調子ものの川口浩とくっつく。
一家全員が、50万の金を元手に新しいパートナーを見つけ、結局同時に5組のカップルが誕生しましたとさ。めでたしめでたし、というお話。