高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

セルジオ・レオーネ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984)

4時間超の大作。筋を細かく追って行ったら大長編になってしまうので却下。一言でいえば、1920年代から30年代のニューヨークを主な舞台としたギャング映画。ギャングやマフィアと言ったら、真っ先に浮かぶのはイタリア系移民なのですが、これはユダヤ人。それが新鮮だった。

いやー、アメリカ映画の歴史を考える上で、西部劇とギャング映画(とミュージカル)は外せないでしょう。日本で言ったら時代劇とヤクザ映画。禁酒法とか、ほんとにこの時代は、個人的にはまったく飽きないのであります。

音楽がエンニオ・モリコーネなのですばらしいのは言うまでもありませんが、おお、当時の流行歌が使われておる!コール・ポーターの「ナイト・アンド・デイ」が流れたときは、映画そっちのけでガッツポーズをしたよ。でも、ちゃんとフレッド・アステアが歌ってるやつを流してくれたらよかったのに(怒)。

お話は、主人公のヌードルスとマックスを中心とした、ユダヤ系移民の不良少年たちの物語が前半。この子らがいっぱしのギャングに登り詰めて、次第に二人の対立が鮮明になっていくのが後半であります。

大人になってからのヌードルスはロバート・デ・二―ロ、マックスはジェームズ・ウッズが演じているのですが、マドンナ的存在のデボラ(エリザベス・マクガヴァン)の少女時代は懐かしのジェニファー・コネリー。いやあ、この人が表紙になっている「スクリーン」やら「ロードショー」は良く買ったなあ。

個人的には、圧倒的に前半の子ども時代がよい。丁寧に描かれています。こういう環境からヤクザ者が出て来るのは、古今東西変わっていないなあと思いますね。貧困と金への執着、性、そして暴力。

 脇の人物も光ってるんだよねー。個人的には、まだ若いのに、はした金や菓子ごときで誰にでも体を許す(あっけらかんとしていて、悲壮感がまるでないのがかえって説得力がある)ペギーが良かった。後半では貫禄抜群、高級売春宿の経営者になっとります。

少年時代のヌードルスは本当によい。とくに、性への関心を持ちながらも思いを寄せるデボラに対しては初心だったりするところが。彼女の姿を覗き見したりするくせに、二人で一緒に聖書なんか読んじゃうんだもんなー(後半、大人になってからは強姦してしまいます)。

 一方で彼はペギーを相手に童貞を捨て、マックスらと徒党を組み、対立するグループと抗争を繰り広げる。そのなかで殺人に手を染めてしまったヌードルスが、刑務所に収監される、というのが前半のクライマックスとなります。

後半は、彼が出所し、ふたたびマックスたちと合流するところから始まります。結構かわいらしい顔立ちだった少年ヌードルス君が、刑務所から出てきたときにロバート・デ・ニーロの顔に変わっていたのを見たときの衝撃は、まあ言うまい(これだけ変わり果てるなんて、どんだけ入ってたんだよー、とは思った)。

なお、前後半とも、映画における「現在」、つまりすでに年老いたヌードルスが、謎の一通の手紙でニューヨークに呼び戻されてからの行動が差し挟まれます。それと、「ワンス・アポン・ア・タイム~」という「過去」が錯綜して描かれる。なお、成長した全盛期のヌードルスは、銀行強盗に失敗して、マックスをはじめ仲間をすべて死なせているということもわかる。

後半はテンポが落ちるのですが(しかもとにかく血が飛ぶわ飛ぶわ)、とくにヌードルスとマックスの確執ということに絞って見れば面白い。

この映画に限らず、私自身、ずっと思っていたことがあります。それは、「男の友情」が本質的にわからないということ。生命を投げ出すほどの結びつきも、相手に惚れこむことも、その裏には羨望と嫉妬があったりすることも、実感としてわからない。

少年時代は信頼し認め合い、しかし成長してからはだんだんと小さな衝突を繰り返すようになり、やがては対立を鮮明にするこの映画の二人を見ていて、そんなことを感じずにはいられませんでした。むかし気質というか、己に忠実なヌードルス。かたや野心家のマックス。マックスは、デボラさえも奪ってしまう。まるでヌードルスに振り向いて欲しいかのように。

最後に、年老いたヌードルスは、謎の手紙で自分を呼び出したのが、すでに死んだはずのマックスだと知ります。彼は事件の混乱に乗じて身を隠し、偽り、今では政府の要職に就いているんだからもうびっくり。

でも、すべてを奪っても、手に入れても、マックスはヌードルスには勝てないんだなー。

マックスはヌードルスに、自分を殺してくれと頼む。惚れた男に殺されるなら本望というところか。でも、当のヌードルス、最初から最後まで、マックスを見てないんだよね。すれ違いというか、同じ土俵にいない。当たり前です、根本的な価値観が違うんだからさ。なぜ彼が、自分とそこまで張り合うのかもわかっていない。

だからこそ、でしょうか。主人公のヌードルスより、究極はたった一人の男に勝つためだけに、人生のすべてを費やしたマックスが、私には哀れでなりませんでした。