高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

イングマール・ベルイマン『第七の封印』(1957)

いやあ、すばらしい。すばらしいです。

途中、これは演劇向きだよなー、舞台で見たいなーとか思ったけれど、逆に、あえて映画のなかに舞台劇を取り入れているんだと得心する。その手法に参りました。100分足らずの長さなのに、テーマがあまりにも重厚なので、見るのにはエネルギーがいる。でも、何度でも見たい映画のひとつ。

舞台はスウェーデン。騎士のアントニウスマックス・フォン・シドー)とその従者ヨンス(グンナール・ビョルンストランド)は、10年にも渡る十字軍の遠征から帰国。浜辺でアントニウスは死神と出会います。当然ながら死を宣告する死神に対して、彼は自らの命を賭けたチェスの勝負を申し入れる…というところから物語は始まる。

つまり、アントニウスは信仰が揺らいでしまった人間なんだね。はたして神はいるのか? 死神もそうですが、こういう形而上学的なテーマを映像にするってのは、何年、何十年と追究し、イメージしないと無理です。だからこそ私は感動したのです。安っぽさなど微塵もなく、こちらも、宗教とは何であるのかをあらためて考えさせられましたもん。

それにしても、ヨーロッパにおけるキリスト教というものは、ちょっとやそっとじゃ理解できるレベルのものではない。

 この映画、十字軍だけではなく、折しも国は黒死病が蔓延しているという設定。成す術もない人々による妄信・狂信・迷信の雨あられ。一方では陰惨な魔女狩りが横行。もうその民衆の姿ときたら、地獄絵図そのものなわけです。現代から見たら考えられないようなこと(体じゅうをぶって病気、いや悪魔を追いだすとかさ。みんなで叩き合って行進しちゃたりしてますがな)なんだけど、これらも当時は真面目に信じられていたわけで。

こういうのは笑えないし、馬鹿にもできない。だって、今よりも死が身近だったからこそ、宗教が人間の生活に密着していた時代でしょうが。でも、人間が等しく死ぬことは当時といささかも変わっていないわけですよね。それなのに、宗教が事実上失われている現代。あらためて、何なんだ?って思ったよね。中世と今とどっちが幸せなのか、とかさ。いや、私は妄信や狂信の類は何であろうと憎みますけれども。

話を映画に戻す。

アントニウスとヨンス(考えてみればこの二人、ドン・キホーテとサンチョ・パンザそのまんま。うーん、さすがヨーロッパ。理想主義のアントニウスに対して、ヨンスは現実派で神などまったく信じておりません)は、アントニウスの妻が待つ城へ旅を続ける。その道中、さまざまな人々に出会う。そして、折々に死神がひょっこり顔を出すという感じで物語は進行します。

旅の道中で出会う人々も、なかなか印象深いものがあります。

なかでも、旅芸人の一座。座長と、座員のヨフとミアの夫婦、そして赤ん坊。座長は鍛冶屋の女房に誘惑され、そのまま二人は逃亡する。アントニウス、ヨンス、家族を失った少女、それにヨフ一家、鍛冶屋の夫を加えた一行は、森の中で座長と女房にばったり出くわす。

ここ、見ごたえあるんですよ。女房はあっさり座長を裏切り、嘘八百を並べ立て、夫のもとに戻る。そのやり取りを、ヨンスがヨフに解説する。「次はこうする」「次はこう言うぞ」みたいな感じで。で、女房はその通りに振る舞うからおかしい。つまり、安っぽい劇が目の前で展開され、ヨンスとヨフはその観客なんだな。しいて言えばヨンスは批評家。ヨフは一般のお客。この場面、中心になるのは旅芸人の一座ですからね。妙な説得力がある。

ところでこのヨンスがもうね、めちゃめちゃカッコいいんですね。ニヒルで、映画の中で起こる出来事をすべて相対化していく。彼は、聖職者にそそのかされて十字軍に参加し、地獄を見、今では何ものをも信じない。これは、たぶん、第二次大戦後のアプレ・ゲールと重なるのだと思います。でなきゃ、1957年という時代にこの映画ができるはずもなければ、人々に受け入れられるはずもない。 中世が舞台だけど、懐疑派のアントニウスも立派に現代的です。

なお、上記の座長は、一行と離れた後、木に登って休もうとしたところを、死神にその木を切り倒されて死亡(ここ、けっこうぞっとする)。「姦淫した」女房も、間男である座長を「殴った」鍛冶屋も死ぬ。かつてヨンスをそそのかし、今では「犯罪者」に成り下がった聖職者なんか、最も無残な形で早々に死ぬ。 一方で、処刑される「魔女」のなんと美しいことよ。

さて、ヨフ一家と離れた一行は、ようやくアントニウスの妻がいる城へ到着します。夕食になる。しかし、そこに死神が現れる。つまり、「最後の晩餐」なわけだ。アントニウスは勝負に負けた。その彼が、これまでとはうって変わった様子で、死神に向かって「閣下」と言って屈する衝撃。

しかしさらにその後がすごい。「神を疑った」アントニウスとその妻、「神を信じない」ヨンス、無知な少女は、死神に連れられて、みんな仲良く手をつなぎ、丘の上を踊りながら歩いて行くシーンが続きます。ここは鳥肌が立ちましたね。モノクロだからこそ、その美しさが際立つ。 不穏な美しさ。

その様子を、一行と別れたヨフとミア、赤ん坊が見ている。どうやらこの一家は、この先も無事に旅を続けられるようだ、そんなかすかな希望を残して物語は終わる。実はこの映画のなかで、この一家だけなんだよ。最初から最後まで、心から神を信じ、かつ善良で、無垢なのは。