高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

チャールズ・チャップリン『巴里の女性』(1923)

あらかじめお断りしておきますが、すみません、以下、長いです。

サイレント映画の密度ってすごいんですよね。セリフがない分、必然的に俳優の表情や動作に情報が盛り込まれるので、ものすごく息を詰めて見ることになります。むかーし、大学院で、純粋芸術というのは絵画と音楽(歌詞なし)であって、説明的な要素を含む言語による芸術派は一段下がるという話を聞いたのですが(ものすごくざっくりした雑談)、それを思い出さずにはいられない。

光と影のすごさ。音楽のすばらしさ。

そして、話は単純明快。

とある村に暮らすマリー(エドナ・パーヴァイアンス)は、画家であるジャン(カール・ミラー)と恋仲にある。二人は結婚を反対されていて、パリに駆け落ちをする計画を立てる。しかしジャンの父親が急死してしまったため、マリーは一人で列車に乗り込むことに。と、もう次の場面は華やかなパリ。高級レストラン。マリーは金持ちのピエール(アドルフ・マンジューである。出発期からこういう役なのねー)の愛人になっている。

しかし、マリーはパリに出て来たピエールと再会し、二人の間には愛情が戻る。マリーの様子を見て、ジャンの母親はそれを快く思わない(さすが女同士。さすが年の功。何やら、いかがわしいものを嗅ぎつけたわけです)。マリーはジャンに自分の肖像画を描いてくれと頼む。派手なドレスに身を包んだ彼女を、男は一心に描き続ける。

しかしこの場面、実はけっこう怖い。出来上がるまで見てはいけないというジャン。しかしマリーは、キャンバスを覆う布を取り払ってしまう。布、はらりと落ちる。そこにあったのは、村にいたころの質素なマリー。これがね、妙にぞっとさせるんだよなー。映像の影の部分の暗さ。絵のなかのマリーの表情とその暗さ。いやね、純真な頃のマリーの方がよいという、通りいっぺんの解釈もできるんですけどね。なんだか私は、男の妄執みたいなものを感じてしまったのでした。

それから、マリーがピエールに別れを告げる場面も、ぞっとしましたよ。マリーは、貰った高価なネックレスを引きちぎり、窓から放り投げる。浮浪者が拾う。それを見たマリー、さっきまでの威勢のよさはどこへやら、あわてて後を追いかける。ハイヒールのかかとが取れても、必死に追いかける。その光景を見て大笑いするピエール。残酷である。チャップリンの映画というのは、どれも決して明るくはないんだよなー。本気で見ると、暗さの底がハンパないぜ。

結局、ジャンは拳銃で自殺をしてしまいます。息子を失った母は、マリーを殺そうとする。しかし、遺体に取り縋って泣く彼女を見て、拳銃を置く。

賛否両論あるでしょうが(これについては後で述べる)、ここからがチャップリンらしい。すなわち、「幸せになる鍵は人に尽くすこと」という字幕。次の場面は、かつてマリーとジャンが住んでいた田舎。故郷に戻ったマリーは、ジャンの母親とともに孤児院を開いている。服装も化粧も質素なものに戻っている。

マリーは一人の子どもを連れ、水を汲みに?出かける。馬車の荷台に乗せてもらう。そこに、パリへ向かうピエールの自動車が通る。同乗者が、マリーはどうしたかと尋ねるが、ピエールは「知らない」と答える。馬車と自動車がすれ違う。お互い、気づきもしない。そのままどんどん両者は離れて行く。

その荷台に乗っているマリーの表情がすごいのだ。決して幸せそうではない。しかし、不幸にも見えない。まったくのうつろ。そう、ジャンが描いたあの肖像画のような表情なのだ。不覚にも私はここで泣いてしまう。マリーと子どもの姿に、かつて貧窮のなか、精神病院への入退院を繰り返したチャップリンの母親と、その息子チャーリーを見てしまったのかもしれない。

さて、いかにもチャップリンらしい「幸せになる鍵は人に尽くすこと」という字幕について。たぶん、(付け焼刃の)自称ニヒリストなんかは、こういうシンプルな、かつヒューマニスティックな言葉を嫌悪するか、あるいは軽蔑するでしょうね。この言葉だけ取り出したら、私だってそう思いますよ、ええ。

でも、これ、この映画の本質的な暗さ、残酷さあっての言葉なんですよね。暗さが希望を支えている。何より、ラストのマリーの表情。安直なヒューマニズムなら、人に尽くすことを知ったマリーは幸せに満ちあふれた顔をしていてもいいはず。でも、決してそうではない。田舎に戻って孤児院を開いたマリーの人生が幸せなのか、はたまた不幸せなのか。それは今後のマリー次第で、つまり、彼女が決めることなんだよなー。

絶望しきったとしても、それでも愛を信じる道を選ぶのか。それとも、全身全霊で絶望しきらないうちに、ちょっとしたことで、人間なんて、人生なんてこんなものだと、絶望した気になるのか。チャップリンって、間違いなく前者なんですよね。しかも、シンプルで、誰にでもわかるように描いているわけですから。ほんとにすごいものって、実はそういうものだと思うのです。