高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

エリック・シャレル『會議は踊る』(1931)

私ごときが今さら何を申す必要があるだろうか、というレベルの、映画史上に燦然と輝く名作。それでもこうして字を並べようとしているのは、ひとえに、この作品が好きだから、ということに尽きます。

これは、ナポレオン失脚後のヨーロッパをどうするべか、ということで行なわれた1814年のウィーン会議を背景としつつ、町娘のクリステル(リリアン・ハーヴェイ)とロシア皇帝・アレクサンドル一世(ヴィリー・フリッチ)との束の間の恋を描いたオペレッタ映画で、主題歌の「ただ一度だけ」は世界中で大ヒット。たまたま先日見た島津保次郎監督の『隣の八重ちゃん』(1934)でも、大日方伝が歌っていました。

まず、主演のリリアン・ハーヴェイがすばらしいのである。可憐、その一言に尽きる。ロシア皇帝との恋、その初々しさが何ともかわいらしい。彼女が演じるクリステル、最初は好きになった男性が皇帝だとは知らない。二人で居酒屋に入る(本来はあり得ないんだけどさ)。皇帝が金貨で支払う(いや、ほんとにあり得ないんだけどさ)。その金貨に、目の前にいる 男の顔が刻印されているのを見てびっくり。うーん、粋だねえ。

後半の、二人のダンスシーンもよかった。さすがウィーン。本場のワルツは一味違います。踊れませんがそれぐらいはわかります。DNAに刷り込まれてるんだろうなあ。あと、戦前でもヨーロッパ映画のお色気はすごい。スカートの下を覗くとか、お尻を叩く刑だとか、扇で顔を覆ってキスをする、とか(何だかここだけ取り出したら変態みたいだな、自分)。

しかし、圧巻なのは、この映画の代名詞ともなった、馬車に乗ったクリステルが皇帝の城に向かうシーンでしたね、やっぱり。ここで彼女が歌うのが「ただ一度だけ」なのですが、これが延々長回し。馬車は人々に見送られるところから出発し、街中を抜け、田園風景のなかを走る。当時だったらあり得ないことでしたでしょうな。しかもロケだもん、これ。いやー、ドイツ映画の底力。

ところで、この作品、コメディとしてもよく出来ている。とくに、メッテルニヒ役のコンラート・ファイトがすばらしい。登場シーンからして、起き抜けのベッドの中で城内の様子をくまなく盗聴しているような、なかなか食えない政治家。策略を仕掛けるわ仕掛けるわ。特に彼にとって、アレクサンドル一世は煙たい存在。是非とも会議では主導権を握りたい、そのために何とかして皇帝を出席させまいとするも、皇帝はそれを察知、自分とそっくりの替え玉を駆使して応戦…という、その駆け引きも面白かったねえ。

その替え玉がメッテルニヒの策略で慈善活動に参加させられるシーンはもはやドリフの世界。「寄付をした方は皇帝とキスができます!」というやつなんですけど、まあお約束通り、ありとあらゆる女性が嬉々として群がるわけで、当然げんなりすることに。皇帝はそれを陰から見ていて面白がるが、クリステルが参加しそうになったのを見ると慌てて選手交代。うーん、やっぱり、粋だよ粋!

混乱のうちにウィーン会議は終わり、さて舞踏会、というところへ、「ナポレオン、エルバ島脱出」の知らせが。各国首脳は大慌てで祖国への帰り支度を始める。クリステルとアレクサンドル一世にも別れの時がやって来ます。

事情を知らないクリステルが「また明日」と言うのに対し、皇帝は「次に会う日ときを楽しみに」といって旅立つ。ここでまた、主題歌「ただ一度だけ」の「この世に生まれてただ一度、二度とかえらぬ美しい思い出(Das gibt's nur einmal, Das kommt nicht wieder)」が繰り返される。これは永遠の別れなわけですから、観客にとっては、苦いものとなって耳に残るのであります。

さて、最後にどうしても一言だけいいたいことがあります。それは…

「この映画を上映禁止にしたナチスはバカ。」