高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

坂口安吾「不良少年とキリスト」

きょうはいつもとちょっと違うお話をしたいと思います。

先日、後輩が亡くなったという知らせを受け取りました。正確には、昨年夏に亡くなっていたという知らせでした。享年44。ガンでした。

学生時代から付き合っていた人と結婚し、幼い子供にも恵まれ、仲間うちではいちばん溌溂としていて元気だった彼女が亡くなっていたなんて、誰もが信じがたく、電話口の私たちはどこかふわふわしていました。感情の置き所がなく、不謹慎にも笑い話さえ起こりました。

彼女は最後まで、治る気でいたそうです。だから、ごく身近な人たちにしか、病気を打ち明けていなかった、とのことでした。戦いきって死んだのだな、と思いました。それにしても早すぎます。まだ小学校に入るか入らないかのお子さんのことを思うと、胸が塞がりました。

私はかつて、これもまた年下の友人を亡くしました。中原中也が好きで、人の心が分かる人でした。そのときのやりきれなさを思い出しました。お通夜のとき、祭壇で笑っている写真の彼に、ものをぶつけてやりたいような怒りさえ感じました。

生きるか、死ぬか、ということを考えたときに、私は真っ先に、坂口安吾の「不良少年とキリスト」の一節を思い出します。いろいろ思うことはありますが、これ以上何を書いても嘘っぽくなるので、ここに置いておきます。

生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、分るとか、分らんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。おまけに、死ぬ方は、たゞなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。(中略) 然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。たゞ、負けないのだ。