高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

フランク・ボーゼージ『歴史は夜作られる』(1937)

タイトルからして艶笑ものだろうと勝手に思って見てみたら、なんとサスペンス(&ロマンス)であった。己の邪な心を深く恥じる。

アメリカの海運王の妻アイリーン(ジーン・アーサー。大好き!)は、嫉妬深い夫に悩まされ、離婚を考えている。折しも夫婦は旅行でパリに滞在。夫は妻が浮気をしているという事実をでっちあげて離婚を阻止しようと考える。で、ある夜更け、金で雇った男を、ホテルの妻の部屋に忍び込ませるのだが、悲鳴を聞いて駆けつけた給仕長のポール(シャルル・ボワイエ)が男を撃退し、そのままアイリーンを連れ出す。

ま、このあたりまではよくある話なのですが、面白いのは、様子を見に来た夫がその直後、雇った男をそのまま殺してしまうんですわ。つまり、逃げたポールに罪を着せようというわけです。

二人はタクシーに乗り、そのままポールの働くカフェへ行きます。物語の最初の方で申し訳ないのですが、ここからの場面がいちばんの見どころだと私は勝手に思っている。

まず、ポールは、ここはパリで一番なんだ、と言い、すでに閉店していたにもかかわらず無理やり開け、帰ろうとしたスタッフを強引に持ち場につかせる。親友であるコックのシザー(この人、最後までとってもいい味出してるんだこれが)に料理を作らせ、楽団にはロマンチックな音楽を演奏させる。

と、こう書くと、なんだ、その歯の浮くようなシチュエーションは! と思われるかもしれませんが、それがちっとも嫌味じゃない。それはひとえに、シャルル・ボワイエという俳優がやるからなんですよね。こんなにロマンスが似合う人はいないよ。さすがフランス人。アメリカ人ではどう頑張っても出せない甘い雰囲気。

ジーン・アーサーは美人ではありますが、どちらかというと硬派な感じなので、この役はあまり合っていません。でも、彼女の力量でそれなりのところへきちんと持って行っております。

さて、一番の見せ場は、この後、カフェで二人が踊るシーン。とりあえずホテルから逃げて来たので、ジーンは寝間着姿。そこを彼女は裸足で踊ります。たんに裸足になるってんじゃないのよ。息苦しい生活から解放されて、素の彼女を見せた瞬間なわけです。それは、屈託のないアメリカっ子としての姿。典型的なフランス人ボワイエと、いかにもアメリカ的なジーンが融合した、ほんとに美しいシーンであります。

それにしても、砂漠でハイヒールを脱いだマレーネ・ディートリッヒゲイリー・クーパーを追いかける、あの『モロッコ』の有名なラストシーンもそうですが、欧米人が裸足になるってのはなんてエロティックなんでしょ。やっぱり家でも靴を脱がないからなのかな。日本のとはまた違ったエロティシズムがあります。

さて、映画。ジーン・アーサーを追ってアメリカに渡ったボワイエは、例の殺人事件で無実の男が犯人として逮捕されたことを知り、その嫌疑を晴らすために再びパリへ戻ることにします。ジーン・アーサーも一緒です。

しかし、ここから私は、え? えー? と思いながら見ていました。

二人の乗った船は、よりによってあの海運王である夫の豪華客船。しかも処女航海ときたもんだ。怒り狂った夫は、悪天候にもかかわらず、無線で全速力の航海を命じる。当然のごとく船は座礁。ボワイエはジーン・アーサーを逃がそうとするが、これも当然のごとく彼女は動かない。客船が大事故を起こしたことを知った夫は、すべてを書き残して自殺。客船は奇跡的に沈没を免れる。乗客みんなの歓声。ばんざーい! で、ジ・エンドという、何だかよくわからない終わり方。

いやいやいやいや、『タイタニック』じゃないんだからさあ…。ストーリーが妙に分裂しているじゃんか!

しかし、見終わってしばらくしてから、私は自分の浅はかさを深く恥じた。よくよく考えてみれば、そもそもあの晩、シャルル・ボワイエジーン・アーサーを助けていなければ、こうした大事故も起こることはなかったのである。まさに、「歴史は夜作られる」。何とも粋じゃないですか、これ。