高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

作家の妻① 津島美知子『回想の太宰治』

私は、作家の周辺にいた人物の回想記というやつがめっぽう好きで、しかもなかんずく恋人や伴侶といったパートナーの書いたものが好きである。とここまで打って、あれ、夫の回想記ってそういえばあまりないなあと思ったら、女性の方が基本的には長生きするということ、それから作家の絶対数が、昭和ぐらいまでだとどうしても男性の方が多いこと、といった単純な理由であることに気づいたので、別に書かなくても良かったのだが、引っ込みがつかないので結局ここまで打った。

 個人的に、その種の回想記で群を抜いているのは、坂口三千代『クラクラ日記』(坂口安吾)、それから谷崎松子『倚松庵の夢』(谷崎潤一郎)だと思っている。まあ、独断と偏見に満ちたものであることは間違いないし、一般的には自分の好きな作家に関係のない回想記など読みもしないだろうから、とどのつまり、私は坂口安吾谷崎潤一郎も好きだということになる。

それらに比べると、太宰治夫人である美知子氏の『回想の太宰治』は、いささか地味である。タイトルが象徴的である。先にあげた二冊の表題、はっきりいってアクが強い。別に、『回想の坂口安吾』『回想の谷崎潤一郎』でもよかったのである。しかし二人はそうしなかった。それは、彼女たちも、夫にひけをとらないだけの強い個性があったということになりはしないだろうか。実際、彼女たちに書かれたその作家であり夫である男の姿は、時にひどい。いや、ほんとにひどい。だからこそ、なかなかどうして彼女たちはしたたかなのである。

 『回想の太宰治』を読むと、その抑えられた冷静な筆致にまず驚く。一歩下がって、死後も、太宰治の「妻」である責任を果たしている、という感じだ。美知子さんは結婚前、教師をしていたわけだが、それも関係しているのかもしれない。何より、夫のその最期に関しては、この本からきれいに省かれているのが、逆にその内に秘めたものを感じさせる。この人は、何を思っていたのだろうか。

もちろん、美知子さんの苦悩、苦労は筆舌に尽くしがたいものであったろうし、そこに他人が小賢しいことを言ういわれはないし、こと夫の死に関しては、おそらくどんなことを書いても、心ない批判を浴びたようにも思う。

 その意味で美知子さんは賢かった。賢すぎるぐらいであった。

この本に登場する太宰治は、礼儀正しく、よき家庭人であり、勤勉な作家として書かれている。若い頃にこの本を読んだ時は、太宰治の意外な一面が見られて、単純に面白かった。しかし年をとってみると、なんだか最後まで腹を割らなかった夫婦、という感じで、読み返すたびにいろいろと思うことが多いのである。