高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

アナトール・リトヴァク『うたかたの恋』(1936)

今さら説明するまでもありませんが、実際にあった歴史上の出来事、オーストリア=ハンガリー帝国のルドルフ皇太子と、男爵令嬢マリーの心中事件(通称「マイヤーリング事件」)をもとにして作られた映画でございます。ルドルフをシャルル・ボワイエ、マリーをダニエル・ダリューが演じている。

いやー、シャルル・ボワイエ、いい俳優だなー。だいいち名前の響きがよろしい。戦前のかほりがする。品があって、知性があって、しかも本物のデカダンスを演じられる俳優なんて、もはや現代では絶滅したのではなかろうか(日本だったら断然森雅之)。皇太子役がハマりすぎである。

そしてダニエル・ダリュー。これまた本物の、掛け値なしの美人。この映画のとき、まだ19歳だったんですよまったくもう。2017年、100歳で亡くなりましたが、『8人の女たち』(2002年)での変わらぬ美しさ、可愛らしさはまるで昨日のことのように覚えております。

さて、映画。ルドルフ皇太子とマリーは偶然の出会いから激しい、許されぬ恋に落ちます。許されないから燃え上がるのは古今東西みな同じ。ちなみにルドルフはすでに結婚していますが、もう、物心ついたときから城内では孤独を感じている身ーーと言えば聞こえがよろしいが、まあ、見方を変えれば、このお方、常に憂鬱だし、甘ったれだし、かなりめんどくさい男です。

それがよく出ているのが以下の場面。ここ、私としてはいちばん見ごたえがあったなー。

当然のごとく、二人のことが次第に噂になる。で、当然のごとく、引き離されることになる。マリーは国外の親戚のもとに追いやられる。ルドルフ、荒れに荒れる。連日酒場で飲めや歌えやの大騒ぎ(当たり前ですが、ちっとも楽しそうじゃありません)。ルドルフ、周囲の人間に絡む絡む。そこにマリーが帰って来る。

ルドルフは、自分のみっともない姿を見られた恥ずかしさと、うれしさと、甘ったれた気持ちと、人間不信とがごっちゃになって、マリーを口汚く罵りまくります。あーあ、ひどいなあ、こんなお嬢ちゃんに(設定では17歳)。ところがマリーは偉かった。表情ひとつ変えず、無言で受け止める。「何か言え!」と怒鳴るルドルフに対して、マリーが放った一言。

「かわいそうに、こんなに傷ついて」

その瞬間、ルドルフは、いっぺんに心を開いたのでありました。「恥ずかしい…」としょんぼり。ここはすごかったです。ほんと、一瞬で変わるんで。

しかし、時代の違いがあるとはいえ、このぐらいの年齢の女の子が、ここまで一途に人を愛せるもんかね? と、最初は半ば訝しく思いながら見ていたのですが、最後の方になってようやくわかる。というか、不勉強でしたわたくし。猛省。

 すなわち、ルドルフは、マリーと結婚したくて、ローマ教皇に離婚の許可を得ようとします。しかし却下される。そうです、この時代の王族の結婚・離婚は、宗教(ここではローマ・カトリック教会)の管理下にあったのだ。だから、その掟を破るということは、つまりは神への反逆に等しい。

マリーだってそれがわかっているわけで、つまり、すでに結婚している皇太子と恋に落ちるということは、それは文字通り、死と隣合わせの、生命を賭したものだったということ。不倫だということで国王の怒りを買ったルドルフは、別れるぐらいなら死ぬと覚悟を決めるのですが、だからこそ、それに対してマリーは一瞬の迷いもなく従うことができたわけです。

まあ、恋愛至上主義のお手本のような作品です。三島由紀夫が好きそうだな。

舞台がオーストリア=ハンガリー帝国なので、音楽はワルツが目白押し。あと、個人的には、二人の恋を後押しし、逢引きができるように尽力するラリッシュ夫人がよかったです。かなりあつかましいおばちゃんですが、映画は、おばちゃんが生き生きしていると俄然面白くなりますから。