高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

谷崎潤一郎『細雪』(含、市川崑監督の映画)

むかし、大学院のゼミで、一年間かけて谷崎潤一郎徹底して読む、ということをやった。『刺青』にはじまり、代表作と呼ばれるものを、年代順に読んでいった。

その当時に作ったノートは、今も重宝しているが、年を重ねるごとに、谷崎のすごさをひしひしと感じている。どれも、読み返したくなるものばかりだ。

「物語」の持つ力だろうか。

なお、『細雪』だけは、このゼミでは読まなかった。いかんせん、長すぎたからである。  

私がこれを読んだのは、三十を過ぎてからだった。

思いがけなく大腸のポリープを切除することになり、三週間は、激しい運動を控えなければならなかった。  

何もすることがない。そんな時は長篇を読むに限る。こんな機会はそうそうあるものではない。そこで手にしたのが『細雪』だった。

あの、あまりにも有名な結末――「下痢はとうとうその日も止まらず、汽車に乗ってからもまだ続いていた」――だけは、知っていた。

大腸の内視鏡検査を受けた方ならご存知だと思うが、あれは腸をからっぽにするまで、ひたすら下剤を使用しなければならぬ。その量たるや2~3ℓにも及ぶ。  

私が『細雪』を読んだのは、このようなきわめて汚いきっかけからだった。  

細雪』は、しみじみと、心に沁みた。静かな感動だった。まったく、戦時中にこれを書き続けたという谷崎潤一郎の強靭な精神力には頭が下がる。

その優れた点は、何をあげてもかまわない。風俗。四姉妹の造型(とくに幸子と妙子)。男たち(とくに奥畑の啓坊)。暇にまかせて、雪子の見合い相手を順番に言え、といったクイズもできそうである。

そう、文学の醍醐味とはこれなのだ。どこをどう読んでもよいのである。それは四姉妹の着物の柄でもよい。食べた料理でもよい。構成でも展開でもよい。季節についてでもよい。

細雪』は、そんなゆったりした読み方が一番ふさわしい。どんな論でも、この作品の持つ豊饒な世界には叶わないのだから。

市川崑監督の映画もいいです。これは、雪子の見合い話を軸に絞ってありますが、それが良かったですね。何より、映像の美しさに涙します。コノクニニウマレテヨカタヨ。そう思います。

吉永小百合の映画って、私はあまり評価していないのですけれど、謎めいた三女の雪子を演じたこの吉永小百合は素晴らしいと思います。長女の鶴子役の岸惠子さまはもともとファンなので言うことなし。二女の幸子役の佐久間良子は、存在感はもちろん、ちょっと意外にもコミカルな演技が光っています。そして大健闘なのが四女のこいさん・妙子役の古手川祐子ですね。負けていません。原作でもいちばん生き生きと描かれているのですが、その感じがよく出ていました。

四姉妹もよいのですが、長女の婿役の伊丹十三と、何かとお節介な美容師・井谷さん役の横山道代の巧さには毎度唸らされる。小津映画からは考えられないような、三宅邦子の親戚のうるさがたのオバ様にもびっくりします。まだ少女の面影を残す仙道敦子も出演しています。 いや、かわいい。

オープニングの、満開の桜のバックに流れるのは、ヘンデルのラルゴ “Ombra mai fu “。これ、小学校のときから好きな曲でしたよ。

私にとって、日常に疲れて心がささくれだったとき、まず読みたくなるのも観たくなるのも『細雪』なのであります。