映画のお手本のような作品。
まず、人物の配置。主人公の男女と、男の愛人がからむ三角関係。
カスバという場所。
敵でありながら、どこか仲間のようなスリマン刑事。最後は、ペペを捕える側にまわるが、友情も感じている、クセのある脇役である(私の好きな多々良純を思い起こさせる)。
小者の悪党たち。裏切り者の出現。主人公を助けるのが、差別される側の、弱い人間たちであること。
もう、何から何まで、ピタッと決まっています。さすがです。今の映画みたいに焦点がぼやけていません。
冒頭で、カスバの複雑さが示されます。ペペは、カスバにいるからこそ活躍できるのであって、出ることは死を意味する。だからこそ、ラスト、女のためにカスバを出、悲劇で幕を閉じる。
真の悲劇は、最初と最後が、一本の線でつながっていなければならないのだ。必然性がなければ悲劇は成立しない。
しかしまあ、ジャン・ギャバンの何とカッコいいことよ。
阪妻みたいな感じ。悪くて、怖くて、優しくて、そして、女のために泣くような女々しさ、いや、母性本能をくすぐる部分。弟分の死でも泣く。もてないわけがないですよ。
こういう、(よくわからないけど)フランスの国民性みたいなものを体現する役者、それを実際に輩出してしまう国ってやっぱりすごい。伝統が、それを支えているんだと思う。
ペペ・ル・モコは、単なるヒーローなんかじゃない。
私は基本的に、映画というのは本質的に女性のもので、女がいい映画はいい、というよくわからない主義を持っている(これは、自分が日本の文学に身を置いていて、それが女性寄りの言語だという価値観に根差しているのかもしれない)のだけど、こういう男なら文句なしである。
うまくいえないが、女が「惚れる」男なら、その映画は成功。私の言う意味、わかってもらえるだろうか……セクシーだってことなんだけど。
そして、90分程度の長さである、この密度ね。以下、断片的に、印象に残った場面。
・ギャビーは来ないと聞かされ、荒れたペペは外に出、水をもらう。その天秤の向こうにはギャビーの姿。その遠近感。絶対に結ばれない距離感なんだ。
・カスバを出ると決めたペペを、カメラはまずその足から撮る。街を、「出させる」のだ。それがカメラワークによって表現されている。
・弟分をだました小者の悪党を追い詰める時のペペの凄みと怖さ。
いい監督は、いい脚本が書ける人間だということを、再認識させられました。