高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

常磐の海と磯原シーサイドホテル

国道6号線を、南へと、車を走らせる。

山あいの湯本を抜け、植田の古い商店街を過ぎてほどなくすると、突如、左前方に視界が開ける。

勿来の海だ。

緩やかにカーブした海岸線の道で、心持ちスピードを上げる。

もうすぐ、いわきから出られる。

いわき市で暮らした三年間、私は、苦しくなるたびに海へ行った。

津波でやられてしまった海沿いの地域は、そのままで放置されているところもあれば、土岸工事で立ち入りが出来ないところもあった。交通が閉ざされたために、応急処置で縫うように張り巡らされた凹凸の激しい道は、晴れた日には土埃を上げた。

それでも私は、海に行かずにはいられなかった。波立、四ツ倉、新舞子浜、塩屋崎。私が一番通ったのは、被害が最もひどかったと言われる、薄磯の海岸だった。ここだけは、いつ行っても人がいなかった。

地元の人にとっては、辛すぎて近づくことが出来ない場所だった。

晴れた日も、台風の日も、昼も、夜も、私は行った。

そんななかで、勿来の海岸だけは違った。聞くところによれば、地形の関係で、不思議なことにほとんど被害がなかった場所である。その話を聞いたとき、とっさに思い出したのが、宮城県の松島のことだった。点在する小さな島々が防波堤になり、波の勢いを弱めた。

私はこれを知ったとき、なぜここが、古の人びとの憧れであったのかが、何となくわかったような気がした。文学なるものが、支え続けてきたこの地は、優雅でたおやかなだけでなく、強さを秘めた土地だったのである。

勿来も、そんな場所だったのだろう。平安時代源義家が「吹く風をなこその関と思へども道もせに散る山桜かな」と詠んだのである。

勿来の海は明るい。それは、東京が近いということでもあった。

国道6号線は、このあたりで道幅がぐっと狭くなる。片側一車線の道路、やがてトンネルを抜けると、車は北茨城市に入る。

私はここで、深く息をつく。

何度通っても、ここで、肩の力が抜けるのだった。

磯原シーサイドホテルを見つけたのは、まったくの偶然だった。

当時、まだ車の運転に慣れていなかった私にとって、精一杯の遠出が北茨城市の磯原だった。ほんのちょっとの気分転換で出かけたのである。

ホテルの目の前は海だった。名勝の二ツ島は、崩れて二ツではなくなっていた。5階建ての古いホテルだったが、手入れは行き届いていた。フロントは皆女性陣で、きびきびとしていて清潔感があり、何より垢ぬけていた。館内には、大きすぎず、ゆったりとした音楽が流れている。いつか、12月に行ったときは、クリスマスソングが流れていた。

チェックインを済ませ、4階の部屋に案内される。エレベーターを降りると、心地の良いハーブの香りが鼻をくすぐった。その気遣いがうれしい。

このホテルも、3階まで津波をかぶったということだった。そこから復活したという。

ツインの部屋は、茶を基調としたリゾート風のインテリアになっていた。しかし何より、目に飛び込んできたのは、大きな窓と海だった。バルコニーに出てみると、ただ、海が広がっていた。

静かだった。人はいなかった。波の音しか、聞こえなかった。

以来、私は、何度、ここに通っただろう。
屋上の露天風呂は言うことがなかった。とくに、夜は。月が見える日を、私は選んだ。海に出来る月の道が好きだった。しかし、雨に打たれながら入る風呂はまたよかった。

食事も行き届いていた。朝、地元の食材を使ったバイキングを終え、コーヒーを飲んでいると、フロアにいた従業員が、今日は晴れていて気持ちがいいですよ、と、わざわざテラス席に案内してくれたこともあった。

夜になると波の音は大きくなった。泊まる日によって波の音が違うことにも気づいた。海辺に住む人は、波の音が毎晩違うのを聞き分けているのだろうか、そんなことを思いながら眠りについた。

大量の本を持ち込んで、気の向くまま読書に時間を費やしたこともある。パソコンを持ち込んで原稿を書いた日もあった。

いわき市を離れることが決まり、すべての荷物を送り出してから、私は身の回りのものだけを車に放り込んで、磯原シーサイドホテルに向かった。この、常磐の海に、別れの挨拶がしたかった。

ホテルの部屋に備え付けてあるアンケートに、私は感謝の言葉を書き記した。まったく、私は、ここに来ることで蘇生し、また、戻っていく、その繰り返しだったからだ。

私は神奈川県に引っ越した。車で30分も走れば、鎌倉の海に出る。

しかし、今でも、私は苦しくなるとあの海を希求する。殺風景なむき出しの、海そのものであるかのような海を。

その空はいつも曇っている。海の色は、私の好きな、グレーグリーンなのだった。