高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

トッド・ヘインズ『キャロル』(2015)

この映画には、個人的に特別な思い入れがあるので、うまく書けないかもしれない。とにかく、すごくよかった。ケイト・ブランシェットに拮抗するルーニー・マーラの演技力と存在感。

二人の距離の縮め方がとてもリアル。本当に愛し合っているとわかるラブシーン、そこに至るまでの距離の縮め方が繊細なのである。しかしこれは映画という芸術の妙だ。時間を追うようにして撮影するわけではない(実際にあのラブシーンは比較的早い段階で撮ったとたしかケイトが言っていた)ので、すなわち編集の力なのである。

キャロルの親友でかつての恋人でもあるアビー(サラ・ポールソン)の存在が心憎い。ルーニー演じるテレーズが嫉妬するのが、キャロルの夫ではなくアビーなのもリアルだ。

そして、ラスト。こうした映画にありがちなものではなかった。同性愛は悲劇しかない(『翼をください』とか)という私の思い込みを見事に覆される。しかも不自然じゃない。キャロルもテレーズも、その道を「選び取った」のであるから。ああ、そういう選択もできるんだ、と思った。

偽りの生き方をしない道を選んだキャロルの演技、それまでが極度に抑制されているがゆえに、感情の迸りには説得力がある。さすがケイト・ブランシェット。「人形の家」的ではないのである。そして、何も決められない、人にも興味がないテレーズが、初めて選び取ったのがキャロルを愛すること。同性愛だから不幸だとか、破局を迎えるとかなのではなく、あくまでその人たち次第なんだという、ごくごく当たり前のことに気づかされる。

性的マイノリティである私は、そこで自分を振り返ってしまった。相手その人との関係を育てようとしてきたかといえば、はっきり答えはNOである。だから、必要以上に、この作品に衝撃を受けてしまったところはあるやも知れぬ。

テレーズが撮ったキャロルの美しさ(とくに寝顔)。ファッションでもなく、性欲でもなく、ただその人を愛するということの美しさ。きめの細やかさ。すごくいいものを観たと思う。これが男女の物語なら、言っては悪いがたんなるメロドラマなのである。しかし同性愛だからといって奇をてらうわけでもない。製作に携わった人たちが口々に言っていた、「人を愛すること」というテーマは、見事に表現されている。

感心したシーンのひとつ。初めてキャロルの家に招かれたテレーズが、夫婦の諍いを見る。その帰りの列車で、突如、涙を流すシーン。一言もセリフがないのに、キャロルを愛してしまったことが分かる、鮮やかなシーンだった。

それにしても、この映画を見て、私がいちばん、自分のなかで見つめたくないものはこれだよ、と思う。せつなさ、やりきれなさ。人を愛することに直結するもの。本当に、まっすぐに歩いていられないような状況。こうならないために、私は極力物事を知的に処理しようとし、現実から何重にも自分をガードする。

私にはキャロルの気持ちもテレーズの気持ちもよくわかる。翳のあるキャロルに惹かれ、愛し愛されるテレーズも、テレーズに若さと美しさを見出し、愛し、でも年上だからとためらい、身を退き、でも愛することをやめられないキャロルも。

ああいう、持ちつ持たれつ、愛し愛されるというのが理想なんだよなあ。『キャロル』の二人は、二人ともが抜群の演技力で、何よりその内面を感じさせるものだった。はっきりいって、このテーマでこれ以上の配役はないと思うほどである。ルーニーは天才。ケイトは努力の人という感じ。

音楽もよかった。『ピアノ・レッスン』を思い出したのはあながちまちがいじゃなかった。あのメイン・テーマには、妙に似たところがある。マイケル・ナイマンカーター・バーウェル。いい作品をつくるためにたくさんの人が集まって、それ自体だけでもすばらしいことなのに、さらにそこでいい作品が生まれたら、こんなに幸せなことがあるだろうか。

原作も読んだ。しかし、訳がひどい。原文もこんなにせっぱつまったかんじなのだろうか。しかし、原作が世に出て何十年、あの二人が揃うまで、映画にはならなかったと思うぐらい、主演の二人はすごい。この役を演じるのが一つの使命だったのではないかとさえ思う。少なくとも、今後も、この映画は、LGBTQの映画の歴史に一石を投じたことは間違いないだろう。毀誉褒貶はあるにせよ。

原作のテレーズはハイスミスが映画より投影されており、そこに書かれている、「いるべき場所にいるべき人がいない」という感覚には胸がつぶれる思いがしたし、テレーズがキャロルに過去を洗いざらい打ち明けるところにも、ああ、これが自分の憧れだったのだと思う。『罪と罰』もそうだが、思いのたけを打ち明けて、それを無条件に受け止めてもらえる、それだけの話だけれど、愛とかいうものは、そういうものなんじゃないかと思います。受け止めること。理解すること。