高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

佐藤泰志「海炭市叙景」と、少しだけ福間健二さんのこと

2023年4月26日、詩人であり映画監督でもあった福間健二さんが亡くなった。私にとって福間さんは、何より佐藤泰志という作家の存在を教えてくれた人でもあった。面識はなかったが、詩誌「ココア共和国」の本年1月号に、福間さんと並んで招待エッセイを書かせていただいたことは一生の思い出である。

佐藤泰志の「海炭市叙景」は、現代の「文学」みたいなものに何の感慨もおぼえなくなっている私に、久しぶりに「文学」の感動といったものを味わわせてくれた。今のところ、自分の意志で本格的に論じることはないであろうけれど、少なくとも私にとっては大切な作品になるであろうと思われた。

この作品は、北海道函館市をモデルにした「海炭市」という架空の地方都市を舞台に、そこで生きる人々の姿を連作という形で描いたもので、初出は1988年(昭和63)である。しかし、90年、作者の自死によって、ついに完成することはなかった。

お恥ずかしい話だが、私は福間さんの著書を読むまで、このような作品があったこと自体知らなかった。それではなぜ手に取ることになったのかと言えば、2010年にこの作品が映画化され、佐藤泰志再評価の動きが高まっていたからだった。だから、福間さんがいらっしゃらなければこの出会いはあり得なかった。

私は一応文学というものに片足を突っ込んでいるとはいえ、基本的には何でも億劫に感じるタチなので、新しい作品を読む時は多大なエネルギーを要する。だから、この作品にはよほど何か魅かれるものがあったのだろう。多くの先人が指摘している通り、自分に本当に必要なものは向こうからやって来てくれる。

まず、本をぱらぱらとめくってみて、胸苦しくなった。こういう文章を書いていたのでは、行き着く先は「死」しかない。すでに私は、この作者が自殺していることを知っている。しかしそういう予備知識は、実はどうでもいいのであって、精力的に活動している作家、あるいはどこからどう見ても天寿を全うした作家の文章でも、「死」が透けて見えることがある。一方で、本人が「死」を意識して書いたであろうと思われる作品に、死の影すらないものもある。

さて、「海炭市叙景」である。

まず、ここに出て来る人々が皆、言葉通りの意味で「ただの人」であることに、私は心を打たれた。

よく、文学の世界では、「無名の庶民の生活を描いた云々」といった形で紹介される作品がある。しかし、実際、そこに庶民なるものがいたためしはほとんどない。大変ドラマチックなな人生を歩んでいる「庶民」だったり、世界を背負うような苦悩に満ちた「庶民」が登場したりする。

そもそも、「庶民」などという言葉からして、何だか政治的な匂いがして気に食わない。その裏には、必ずその枠には入らない種族がいて、ものを書く人間はおおむねこちらに属している。このあたりは突っ込むと面倒なことになるのでここではやめておく。

海炭市叙景」の人々は、本当につまらない、ただの人たちなのだった。

この作者の力量ならば、このなかの一人を取り出して、もっと劇的な小説に仕立て上げることが出来たかもしれない。しかし佐藤泰志の構想のなかに、そんなものはなかった。ただの人々の、見向きもされないような生活を突き詰めて書くと、これほどまでに美しい世界になるのかと思った。そしておのずと、「海炭市」という「場所」が立ち上がってくる。

この突き詰め方が、独特なのである。どの章の人物も、はっきり言って不幸である。結末の悲劇しか想像出来ないような形で物語は進む。それなのに最後は、ふっと力が抜ける。オチがあるわけではない。劇的な結末もなければ、主人公が改心?して日常に帰っていくわけでもない。絶望なのか希望なのかもわからない。ただ、読後、強烈な印象となって残るのは、その人間の、ある日の「生」そのものなのである。

海炭市叙景」が発表されてからもうだいぶ時間は経ってしまったが、地方都市は、ここに描かれた世界とちっとも変わっていやしない。むしろいっそう疲れている。

私自身も、東北の地方都市の出身である。大学入学のために上京してから、年に一、二回帰省することはあっても、この作品に登場する何人かのように、「首都」から私の「海炭市」に戻って暮らすことはなかった。この先も、おそらくないだろう。しかし、家族や友人たちは、だいたいこの小説に出て来るような生活を営んでいる。一度「首都」に出て来て、卒業後に各々の「海炭市」に帰った大学時代の友人たちも皆似たり寄ったりだ。

ふと思い立って、手元にある『近代文学年表』を開いてみる。1988年の項に、佐藤泰志の名前はなかった。その前後の年にも、やはりなかった。

目を引くのは、87年だと村上春樹ノルウェイの森』、88年では同じく村上氏の『ダンス・ダンス・ダンス』、吉本ばなな(現在はよしもとばなな)『キッチン』『哀しい予感』、翌年の『TSUGUMI』『白河夜船』である。当時、私は小学生だったが、この二人の作家が社会現象にまでなっていたことはよく覚えている。

つくづく、佐藤泰志の死が、「海炭市叙景」が未完で終わったことが、無念でならなかった。彼は、文壇の頂点に立つことはなかった。彼の文学は、下等な商業ジャーナリズムと、「文学みたいなもの」に辱しめられ、敗れたともいえる。だがそのために彼の文学は「文学」になった。そのことを福間さんは知っていたと思う。この栄光は、永遠に消えることがない。