高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

「エッセイ」のこと——荒川洋治『忘れられる過去』から

私は何を差し置いても随筆やエッセイ(私のなかでこの二つには区別がある)が好きで、小説を書いてみたいと思ったことは一度もないが、エッセイの類は、ああ、こういうものが書いてみたいとしばしば思う。

しかしながら、たとえばモンテーニュの『エセー』といったもの、または『枕草子』から『徒然草』などへ遡ることができる随筆は、読んでみればわかる通り、幅広い教養、書き手の好奇心、普段の生き方、いやすべての生、そして言語的なセンスと文章力が問われるのであって、簡単に書けそうで書けないのがミソである。作文ではないということだ。

荒川洋治のエッセイはそんななかでも、さすが詩人のエッセイであり、私はかなり好きで読んでいる方だと思う。

この『忘れられる過去』、やはり面白いのは言語についての記述である。唸らされる。たとえば、「たしか」という章。柳田国男の『美しき村』について書いてある。荒川は、「境田というあたりの」「たしか青野といった」という言い方に目をつける。民俗学者がメモを取らないはずはないので、こういうぼんやりした書き方が、かえって興味を刺激する、味がある、と荒川は言う。

荒川洋治の文章というのは、執拗なところがあって、それは言語的なこだわり以外の何ものでもない。しかも、難解な言葉は一切使わらない。次の「短編と短篇」の一節など、私は自戒の意味を込めて引用します。

ものを書く人は、文字の「美意識」の凝りがとりはらわれたときに、一人前になる。あまり文字のイメージにこだわるのは「青い」証拠。若いときには何も知らないから「短編」、少しすると、おませになって「短篇」、落ち着いてくると「短編」に、もどる。
 これがひとつの成長の、しるしである。「編」という一般的な文字をつかって、りっぱなものを書く。それが書き手の「技倆」だ。文字のこだわりからぬけでたとき、文章もおとなになるのだろう。

そんな私は、40歳ぐらいまで、「短篇」を絶賛使用中だった。しかし、この部分、「とりはらわれた」「ぬけでた」はひらがなで、「技倆」は漢字。しかも「技量」ではない。こんなところに、荒川洋治のおかしみを感じるのは私だけだろうか(あの宮澤賢治「ファン」を掃滅的に批判した詩を読んだ時も、それを感じたのだが、荒川洋治のユーモアは研究されてよい。そういえば、中野重治も、大真面目な言葉へのこだわりが巧まずしてユーモアになっているような文章が多々ある)。

ところで、この本、「踊り子の骨拾い」は笑って感心します。これは文庫の表題についてのエッセイ。作品集だと、その作品の組み合わせでずいぶん印象が変わるということ。例としてあげられているのは、『伊豆の踊子・骨拾い』(川端康成)、『信長・イノチガケ』(坂口安吾)。ね、面白いでしょ?今、自分の書棚を見渡しても、やっぱり考えているんだなあと思いました。『嵐・ある女の生涯』(島崎藤村)、『ゼーロン・淡雪』(牧野信一)。後者には他の作品も収められていますが、たとえば『酒盗人・鬼涙村』だったら、牧野信一の作品世界は浮かび上がってこない。『泉岳寺附近・淡雪』でも、前者が代表作でも、何だか葛西善蔵とか嘉村礒多系の私小説をイメージしてしまう。やっぱり、『ゼーロン・淡雪』でこそ牧野信一です。

最後に、以下の文章を。心と言葉と詩の関係が、よくわかる箇所。

中野重治「雨の降る品川駅」について)かりに「日本プロレタリアートの後だて前だて」が評論やエッセイのような散文なら問題はあるが(朝鮮の「辛」さん「金」さん「李さん」「女の李」さんには失礼だが)、この部分はすべて「詩のことば」なのであって散文ではない。彼が書いたのは詩だ。詩のなかの「日本プロレタリアートの後だて前だて」と、散文のなかに置かれた「日本プロレタリアートの後だて前だて」は、同じことばでもまったく別のものだ。別のものとしなくては詩を書く意味も読む意味もないのである。

すみっこで詩を書く者としては、大切な言葉である。