高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

2023-02-01から1ヶ月間の記事一覧

ジョン・クロムウェル『痴人の愛』(1934)

谷崎潤一郎の同名作品とは何の関係もなく、原作はサマセット・モームの『人間の絆』(Of Human Bondage)であります。実際に映画を見ると、ま、この邦題にした気持ちがわからなくもない。 主演はレスリー・ハワード(『風と共に去りぬ』のアシュレですが、な…

島津保次郎『兄とその妹』(1939)

昭和14年の作品。脚本も島津保次郎である。戦前に、すでにこの時期、松竹調、いや大船調が確立していたことをまざまざと見せつけられる。どこにでもあるような、その時代時代の小市民的な家庭を舞台にした映画。でも、あくまでも映画。当たり前だが、映画っ…

言葉をめぐるあれこれ

すでにあちこちで書いたりしゃべったりしていることなのだが、私にとっては非常に重要なことなので書いておく。 少しばかり言葉を扱うような仕事をしていて、折にふれて思い返すことがある。まだ幼いころ、どうしても解けない謎だったのが、なぜ、同じような…

セルジオ・レオーネ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984)

4時間超の大作。筋を細かく追って行ったら大長編になってしまうので却下。一言でいえば、1920年代から30年代のニューヨークを主な舞台としたギャング映画。ギャングやマフィアと言ったら、真っ先に浮かぶのはイタリア系移民なのですが、これはユダヤ人。それ…

ものの見え方

いま、自分の隣に誰かがいて、同じ風景を見ているとする。 そのとき、いちばん気になるのは、いったいこの人の目に、眼前の風景はどのように映っているのか、ということである。 これは、私が、こと文学において、書かれてあること、つまり内容よりも、その…

清水宏『もぐら横丁』(1953)

どこかでも書いたが、清水宏は、即興の天才肌という感じで大好きな監督である。緻密に練り上げられたドラマというやつも、それはそれで好きなのだが、疲れているときは少々こたえる。そんなとき、清水宏の作品を見るとほっとする。油絵だけじゃなくて日本に…

ヴィンセント・ミネリ『巴里のアメリカ人』(1951)②

つづき。 よく言われることですけど、ジーン・ケリーのダンスには憂いがない。私なりにいいかえると、「物語」がないのである。ミュージカルが嫌いな人の多くが指摘する、歌や踊りとストーリーが切断されたような感じ、ってのが、この人にはわりと顕著。これ…

ヴィンセント・ミネリ『巴里のアメリカ人』(1951)①

ミュージカル映画といえばやっぱりMGM。そのMGMミュージカルの黄金時代を代表する、しかも集大成として位置づけられるようなこの作品、アカデミー賞では6部門を受賞し、おそらくは『雨に唄えば』と並んで、最も人口に膾炙したものでありましょう。両方…

ゼロのこと、円のこと

私は確かに、金に縁のない人生を送ってはいるが、これはそういう類いのお話ではない。 以前、正月に、帰省した折のことである。妹と、算数の話になった。 何でも、当時小学校3年生になる自分の息子(つまり私の甥っ子)から、「ゼロってなあに?」と聞かれて…

溝口健二『祇園囃子』(1953)

私は、もしかして、もしかすると、小津より溝口が好き? というか、溝口健二が好きだということをはっきりと自覚させられた作品。代表作というわけでもないのだが、その理由は何かと言ったらもう映像美。構図。モノクロームの美しさ。この人の眼は、絶対にモ…

ビリー・ワイルダー『深夜の告白』(1944)

とにかく、脚本がすばらしい。ビリー・ワイルダーとレイモンド・チャンドラー。うん、確かにチャンドラーっぽい。脚本の書ける監督はやっぱり違うのだ。 保険外交員のネフ(フレッド・マクマレイ)が顧客の妻であるフィリス(バーバラ・スタンウィック)の虜…

岡田茉莉子『女優 岡田茉莉子』

岡田茉莉子は、私の大好きな女優さんなのだけれど、忘れもしない、最初の出会いというのは、子どもの頃に観た角川映画『人間の証明』でありました。 そしてその時の印象はと申しますと、ただひたすらに「怖えええええええええ」でしかなかったのであります。…

三隅研次『女系家族』(1963)

山崎豊子原作。大映の、関西の、ねちっこいドラマは、はまると本当にクセになる。カラーも妙にどぎつくて、それがまた合っている(すでに何度も書いているが、毎回思うことなので書いておく)。 大阪・船場の老舗問屋の当主(婿養子。これ重要)が死に、遺産…

ジュリアン・デュヴィヴィエ『舞踏会の手帖』(1937)

今さら語るまでもなし、の名作なのですが、この映画、私にとっては常にベスト10に入るものであります。いまだにそれがうまく言語化できない。いまだに断片のまま。 それにしても、ちょうどこの時代、デュヴィヴィエ、ルネ・クレール、ジャック・フェデー、ジ…

ジョージ・ルーカス『アメリカン・グラフィティ』(1973)

懐かしいという感情は謎に満ちている。懐かしさは、必ずしも経験とは結びつかないからである。 この映画から感じたのは、何よりも「懐かしさ」であった。しかし、私はアメリカ人でもなければ、かの国に行ったことさえないのである。してみると、結局、そこに…

アーサー・ペン『俺たちに明日はない』(1967)②

つづき。 いいシーンだなあと思った場面がひとつ。逃避行の最中、ボニーが、「ママに会いたい」と言うところ。個人的な好みですが、少女性を表現できるって、女優さんとしては非常に大事な資質だと思う。あ、くれぐれもロリコン的な意味ではないです。そして…

アーサー・ペン『俺たちに明日はない』(1967)①

名作。かなり好きな映画である。とにかく、主人公二人の何と魅力的なことよ。あの世界恐慌からはじまった空前の大不況、アメリカにおける田舎、教育がないこと、さまざまな要因が絡み合って誕生した、銀行強盗であり殺人犯のボニーとクライド(実在)。 『勝…

小津安二郎『お茶漬の味』(1952)

『晩春』(1949)、『麦秋』(1951)、『東京物語』(1953)という小津安二郎の代表作の谷間に挟まれたこの映画と『宗方姉妹』(1950)はどうにも気の毒なところがあるのですが、私は『お茶漬の味』、けっこう好きです。なぜならば、わが淡島千景嬢が出演し…

トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』

私はオードリー・ヘプバーンがそれほど好きではないが、その映画はだいたい観ている。『ティファニーで朝食を』も、まず映画で観て、それから原作を買って読んだ。 私には、原作の方が良かった。主人公のホリー・ゴライトリー、名刺には「旅行中」にふさわし…

市川崑『黒い十人の女』(1961)

私は文学でも映画でも何でもそうですが、ストーリーへの興味というのは二の次で、その描き方にいちばん興味があります。映画だったら見せ方つまり映像。 てなわけで市川崑というのはとても好きな監督なのですが、それにしてもこの映画、すでに多くの方々に指…

豊田四郎『駅前旅館』(1958)

ぜいたくな映画。とんでもない人がチョイ役で出ている。女子高生役の市原悦子、女工(死語)の野村昭子……って『家政婦は見た!』か。 その他にも、森川信(大好き!『男はつらいよ』のおいちゃんはこの人しかいないと思っている。唯一、本質的に寅と同レベル…

マルグリット・デュラス『愛人』

『愛人』は、大好きな作品であるが、同時にいろいろとくだらない思い出もまとわりついている。 最初にこの作品を知ったのは、私が高校2年、映画化されたときだった。たしか主演がジェーン・マーチで、その性愛描写がセンセーショナルな話題を巻き起こしたも…

ロバート・ゼメキス『フォレスト・ガンプ』(1994)

余計な映画評なんかを抜きにして、理屈抜きに好きな映画のひとつ。いったい私はこの映画を何度観たであろうか。1994年のアメリカ映画で、その年のアカデミー賞を獲得した。主演のトム・ハンクスが一世一代の名演技。もっとも、アカデミー賞は、長らく、精神…

清水宏『按摩と女』(1938)

66分と短い映画だが、ロマンティシズムなるものを凝縮したような映画。 『有りがたうさん』を観た時も思ったけど、清水宏というのはなんつーか、「天才」を感じさせる監督。即興性のきらめきみたいなものがある。 主役の徳市を演じる徳大寺伸が、はっきり言…

小栗康平『泥の河』(1981)

私は、やたらとノートを作る癖があって、その量たるやもはや収拾がつかないのだが、たまたま映画用のそれをぱらぱらめくっていたら、この『泥の河』というタイトルが出て来た。 そして、すっかり忘れていたが、それを見た瞬間、「あ、これは私が観た映画の中…

ジュリアン・デュヴィヴィエ『白き処女地』(1934)

私事ではあるが、もっぱら「宗教」に関心がある。正確には、宗教そのものというより、ものの発想の仕方、と言った方が正しい。それはとどのつまり、文化の違いに行き着く。この『白き処女地』も、好きなジャン・ギャバン目当てで見たはずなのに、今でも記憶…

エリア・カザン『欲望という名の電車』(1951)②

ヴィヴィアン・リー演じるブランチ・デュボアは、もちろん、まぎれもなく「女」だった。獣としての女が、わずかばかりの知性や教養を身につけて、かろうじて人間の面目を保っている、そんな存在だった。それはブランドのスタンリーも変わらない。ヴィヴィア…

エリア・カザン『欲望という名の電車』(1951)①

今朝、たまたまTwitterでこの映画のマーロン・ブランドの画像を見て、居ても立っても居られなくなり、確か、この映画を観たときのメモが残っているはずだ、ということで、ノートの山を漁る。ありました(この類いのノートは、走り書きのメモを含めたら結構な…

吉村公三郎『家庭の事情』(1962)

この映画、脚本は新藤兼人である。新藤兼人という人は、その著作(『日本シナリオ史』上下巻や『シナリオの創造』『シナリオの構成』とか、ずいぶんお世話になりました)を読んでも、第一級の脚本家であることは間違いなく、そして映画はやっぱり「ホン」だ…

ハワード・ホークス『暗黒街の顔役』(1932)

あちこちで書いたりしゃべったりしているのだが、私は1920年代から30年代というものにどういうわけか強い執着があって、アメリカの禁酒法やらギャングやらが出て来る映画だとついつい見てしまう。たぶんその原点は『アンタッチャブル』(1987)だ。この映画…