『愛人』は、大好きな作品であるが、同時にいろいろとくだらない思い出もまとわりついている。
最初にこの作品を知ったのは、私が高校2年、映画化されたときだった。たしか主演がジェーン・マーチで、その性愛描写がセンセーショナルな話題を巻き起こしたものだ。当時、そちらの方面にきわめて関心が高かった田舎の女子高生たちは、こぞって観に出かけた。私が通っていた学校は、県下でも有数の伝統的な女子高であったが、日常ではえげつない猥談が繰り広げられていた。
ところがこの映画版『愛人』、いかんせん、抱き合わせ(これも田舎ならではである)の映画がいけなかった。シャロン・ストーン主演の『氷の微笑』だったのである。これまた、過激な性描写で話題になった作品で、興行者のあざとさがうかがえるものだが、わかりやすい筋立てとサスペンスだったものだから、高校生にはこちらの方が刺激的で、肝心の『愛人』の方はというと、友人と首をかしげながら帰ったのである。
だが、『愛人』は、私の心に奇妙な形で引っかかった。今、手元にある本の奥付を見ると、映画を観てからほどなくして原作を読んでいるのだから、間違いない。
感動した。清水徹氏の訳もすばらしかったのである。思い浮かぶままにイメージの断片を書き連ねるようなその文体に、私はすっかりいかれてしまった。揺蕩うようで、確かに存在する何か。
仏領インドシナを舞台に、フランス人の少女と、裕福な中国人男性が関係を持つ、それは確かにそうだったのだけれど、その物語と同時に在るのが、少女の家族の、陰惨で甘美な物語なのであった。そして私は、どちらかというとこちらに惹かれたのだと思う。少女と死んだ小さい兄ちゃん、一方では母と長兄の、近親相関的な関係は、悲しく、美しかった。
だが、やはり何といっても、この小説のラストシーン、少女と中国人の男との別れのくだりは素晴らしい。さすが、映画も撮ったデュラスだ、と思う。
「そして彼女は突然、自分があの男を愛していなかったということに確信をもてなくなった」。
後年、「男」は、作家として著名になった少女、今では「女」に電話をかける。その「男」の言葉で小説は終わる。
「以前と同じように、自分はまだあなたを愛している、あなたを愛することをやめるなんて、けっして自分にはできないだろう、死ぬまであなたを愛するだろう」。
この二ヶ所は、暗記するほど繰り返して読んだ。
以後、今日まで、マルグリット・デュラスは、私が最も尊敬する女性作家のひとりである。 おそらく、ないだろうけど、もし、私がこの先、もし、小説を書くようなことがあるのなら、デュラスのような作品を書きたい。