高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧

ウィリアム・ワイラー『探偵物語』(1951)

この世の中において、心理学とかいったものに携わる方々のすべてを敵にまわしそうなのだけれど、私は、こと芸術作品においては、この分野はほとんど邪魔なものだと思っている(ただし、現実の人間のくらしにおいては、これによって救われた人は無数にいるわ…

作家の妻② 坂口三千代『クラクラ日記』

前に別なところでも書いたのだが、大事なことだし、大好きな本なのでもう一度書く。 私が坂口安吾という作家に事実上「惚れて」しまったのは、実にこの妻である三千代さんのこの回想記によるのであった。安吾だけは、私が唯一、本気で結婚したいとまで思いつ…

作家の妻① 津島美知子『回想の太宰治』

私は、作家の周辺にいた人物の回想記というやつがめっぽう好きで、しかもなかんずく恋人や伴侶といったパートナーの書いたものが好きである。とここまで打って、あれ、夫の回想記ってそういえばあまりないなあと思ったら、女性の方が基本的には長生きすると…

フランク・ボーゼージ『歴史は夜作られる』(1937)

タイトルからして艶笑ものだろうと勝手に思って見てみたら、なんとサスペンス(&ロマンス)であった。己の邪な心を深く恥じる。 アメリカの海運王の妻アイリーン(ジーン・アーサー。大好き!)は、嫉妬深い夫に悩まされ、離婚を考えている。折しも夫婦は旅…

マルセル・カルネ『悪魔が夜来る』(1942)

フランス語というものは、やっぱり話すためにある言語だなあとつくづく思う。この映画におけるジャック・プレヴェールの脚本、台詞が美しいことこの上ない。演劇の台詞(古典)というものをひたすら堪能する。 しかも助監督はミケランジェロ・アントニオーニ…

坂口安吾「不良少年とキリスト」

きょうはいつもとちょっと違うお話をしたいと思います。 先日、後輩が亡くなったという知らせを受け取りました。正確には、昨年夏に亡くなっていたという知らせでした。享年44。ガンでした。 学生時代から付き合っていた人と結婚し、幼い子供にも恵まれ、仲…

佐々木康『陽気な渡り鳥』(1952)

美空ひばり主演の映画なわけですが、こういう作品は、まずリアルタイムで観た人はひばりファンが8割以上だろうし、後年、DVDなんかで観た人もまずひばりファンがほとんどだろうし、あとはせいぜい、何らかの学術的研究に寄与するような方々がご覧になるぐ…

エリック・シャレル『會議は踊る』(1931)

私ごときが今さら何を申す必要があるだろうか、というレベルの、映画史上に燦然と輝く名作。それでもこうして字を並べようとしているのは、ひとえに、この作品が好きだから、ということに尽きます。 これは、ナポレオン失脚後のヨーロッパをどうするべか、と…

篠田正浩『美しさと哀しみと』(1965)

川端康成の小説は、かなりの数が映画化されていて、『伊豆の踊子』などは何度もリメイクされているわけですが、けっこう不満が残るものが多い。というのも、私がこの作家をとりわけ愛しており、したがって自然と映画を見る目が厳しくなってしまうせいである…

ジャック・ベッケル『現金に手を出すな』(1954)

何というオシャレな映画。「現金」を「げんなま」と読むのもシャレているが、最初から最後まで、画面の隅から隅まで、小道具ひとつに至るまで、とにかくオシャレであります。 ギャング映画なのですが、ほろ苦いのにどこかお茶目。これは、主人公のマックスこ…

溝口健二『浪華悲歌』(1936)

私はこれをDVDで観たのですが、特典映像(新藤兼人の解説)で、これを撮ったときの溝口が38歳だったことを知り、まず軽くショックを受けました。自分の38歳って、何ごとかを成し得ていたでしょうか(主演の山田五十鈴が当時19歳であったことには今さら触…

アンリ・カルティエ=ブレッソン『こころの眼』

アンリ・カルティエ=ブレッソンは、私の最も好きな写真家だ。写真界における詩人として、哲学者として。 彼ほど、写真というジャンルにおいて、ほぼ完全な詩(私)的世界を確立した人はいないと思っているし、その画面の非の打ち所がない美しさは、時として…

好きな音について

音というのは記憶とは切っても切り離せないものである。好きな音、ということは、イコール、良き記憶なのである。 ①踏切の音 子どもの頃から電車が好きだった。それにまつわる小道具はなお好きだった。当時、きっぷはひとつひとつ、改札ではさみを入れてもら…

マックス・オフュルス『輪舞』(1950)

原作はシュニッツラーなのですが、なんとまあ、ものすごく凝った戯曲。「恋愛」(情事)のありとあらゆるバージョンが詰め込まれている。いやーたまげた。 舞台はウィーン。10人の男女が登場する。それぞれの情事の相手が順繰りに入れ替わってゆき、最後に登…

チャールズ・チャップリン『巴里の女性』(1923)

あらかじめお断りしておきますが、すみません、以下、長いです。 サイレント映画の密度ってすごいんですよね。セリフがない分、必然的に俳優の表情や動作に情報が盛り込まれるので、ものすごく息を詰めて見ることになります。むかーし、大学院で、純粋芸術と…

桜木紫乃『ホテルローヤル』

映画は未見。申し訳ないです。いずれそのうちに。今日は純粋に文学のお話。 私は、性にまつわるわびしい話が好きである。こういう部分は、人類の開闢以来たいして変わっていないということを、いろいろな作品を読むたびに再認識させられるからである。私が最…

マイケル・カーティス『俺たちは天使じゃない』(1955)

ハンフリー・ボガート(以下、ボギー)という俳優は、その面構えから最初は悪役ばっかりで、のちに渋くてカッコいい役をやるようになったわけですけれども、私としては、この人、コメディがとても似合うと思っています。出自はええとこの坊ちゃんだし、余裕…

シドニー・ルメット『十二人の怒れる男』(1957)

さすが、映画史上に輝く名作なだけあって、名作(変な日本語)。であるからして、以下、私が申し上げることも、すでに誰かが言っているであろうということは容易に想像できますが、どうかお許しを願いたい。 まずこの作品、とにかく一言で表現するならば、「…

『風と共に去りぬ』にまつわる幼稚な思い出 

中学生ぐらいからの私の文学体験は、基本的には映画とともにあった。映画を観て、それから原作を読むというのが、生活のど真ん中にあった。 『風と共に去りぬ』もまさにそのパターンで、せっかちで根気のない私が、よくもまあこの文庫五冊分の長編を読み切っ…

ピーター・ブルック『雨のしのび逢い』

それにしてもなぜ、こういう邦題を付けたのか。マルグリット・デュラスの原作通り『モデラート・カンタービレ』でよかったんじゃないか。たしかに主人公の二人、しのび逢ってはいるが、雨は降っていなかったぞ! まあ、それにしても、映画で使われている唯一…

春原政久『三等重役』(1952)

のちの東宝の『社長シリーズ』の原型となった作品。いちおう、喜劇ということにはなっているが、諷刺がきいていて、ただのドタバタ喜劇ではない。この頃の喜劇は丁寧に作ってあった。私は「社長シリーズ」も「駅前シリーズ」も嫌いではないけれど、あれは雑…

ルネ・クレマン『太陽がいっぱい』(1960)

誤解を恐れずに言うと、これはアラン・ドロンという俳優が持つある種の「卑しさ」がなければ成立しなかった作品です。いや、私、褒めてるんですよ。皆が皆、気高い雰囲気を漂わせているなんてつまらない、第一、人間世界がそんなものであれば、映画はもちろ…

『淡島千景 女優というプリズム』

私のなかで女優・淡島千景がにわかにクローズアップされて来たのは、渋谷実監督の『本日休診』においてであった。それまでは、小津安二郎『麦秋』の、原節子演じる紀子の親友・アヤ役ぐらいしか認識していなかった(『早春』や『夫婦善哉』はいちおう観てい…

イングマール・ベルイマン『第七の封印』(1957)

いやあ、すばらしい。すばらしいです。 途中、これは演劇向きだよなー、舞台で見たいなーとか思ったけれど、逆に、あえて映画のなかに舞台劇を取り入れているんだと得心する。その手法に参りました。100分足らずの長さなのに、テーマがあまりにも重厚なので…

すずらんのこと――3.11に寄せて

3月である。 今年も、3.11がやってくる。 この日が近づくと、私は必ず、すずらんの花を思い出す。 私は、すずらんが好きである。 すずらんには、特別な思い入れがある。 私は、6月に、仙台市で生まれた。 退院するとき、病院から、すずらんの花を一株送られ…