高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

原点に帰る(ものを書くことについて)

某学会誌に投稿した論文が、査読で落ちたので、少なからずショックを受けている。参ったな。しかし、48歳になっても、落ちるひとは落ちる。だからもし、これを読んでいる若いひとで、似たような経験をしたことがある方なら、何も気に病む必要はない。大いに…

女の子とは何か

私には、少女時代というものがない。 性自認があいまいな自分は、ずっと、女の子というものがわからないまま育った。現代と比べて、昭和の御代にそういう生き方をするのはなかなか困難なことではあった。しばしば、ジェンダーレスな言葉遣いや振る舞いを母に…

言葉の快楽④ ちょっと脇道に逸れて、自分の性のことなど

言葉と快楽についての不定期連載。って、誰も読んでいないかもしれないが、今回は、なぜ私がこういう問題に関心を持ち続けて来たのか、それを考えてみようと思う。話が脇道に逸れるようだけれど、ちゃんとつながっている(はずである)。 それは結局、「性」…

文学は自由なんだよ。

更新が滞っていますね。ここでの駄文を楽しみにして下さっている方がいらっしゃいましたら、本当に申し訳ありません。 実は、noteには書きましたが、今年の自分の誕生日(6月1日)に合わせて、第一詩集を出す予定でおりまして、現在、その制作に追われており…

人称をこえて(ジェンダーの話など)

日本語の人称に、ずっと関心がある。文学をやっているのなら、当たり前のことだろうけど。一人称にひとつとってみても、「私」「わたし」「僕」「俺」「われ」「吾輩」それこそ無数にある。英語ならどれも「I」の一文字で終わってしまう。ちなみに、文学作…

アンリ・コルピ『かくも長き不在』(1961)

私がもっとも好きな女性作家はヴァージニア・ウルフかマルグリット・デュラスかということになるのですが、とにかく、すごい映画だった。話の筋を知っていてこれだけショックを受けるとは。デュラスの脚本がすばらしい。小津安二郎好きなデュラスだけあって…

言葉の呪縛、言葉からの解放

前回の投稿(言葉の快楽③)で、およそ100冊にもなる日記をすべて処分していることについて書いたが、おかげさまで、というか、めでたく、と言おうか、およそ50冊は廃棄した。研究に関する記述の部分は切り取っておくので、仕方なくざっと読むのだが、まった…

言葉の快楽③ 視覚型と聴覚型

若干思うところがあって、100冊ほどもあった日記について、研究に関する記述だけを切り抜いて他は処分することにした。最初に日記をつけ始めたのは2006年ぐらいなのだが、そのほとんどは恋愛関係を筆頭に苦悶の表情に充ちている。コンテナ1個分になるような…

言葉は、奪えない

この年まで生きてきて、それなりにいろいろあったが、言葉だけは、誰にも奪えなかった。言葉だけは、わたしのものだった。いや、わたしが、言葉そのものだった。 今までにも何度か書いてきたが、わたしは両親が不仲の、暗い、殺伐とした家庭に生まれ、育って…

ウディ・アレン『ブロードウェイと銃弾』(1994)

『ブロードウェイと銃弾』、ウディ・アレン。このひとについて発言するのは勇気がいる。作家の人間性と作品は同一視すべきなのか、完全に分けて考えるべきなのか。永遠のテーマ。でもこれを観たのは、この監督のあの問題が発覚する前のことで、日記にメモも…

言葉の快楽② 谷崎潤一郎のこと

言葉の快楽、文学と官能について考えようと思い立ち、まず脳裏に浮かんだのは谷崎潤一郎のことであった。私は某大学の授業で1920年代から40年代の文学を読む、というグループディスカッションを中心とした授業をやっているのだが、その柱に置いているのが彼…

言葉の快楽(連載するかもしれません)

言葉は、ひとつの快楽である。読む快楽がある。書く快楽がある。私は言葉に欲情する。 そんなことに気づいてから、実はずっと、自分は、言葉の持つ官能性を追い続けてきたような気がした。たとえばここに、永田守弘の『官能小説の奥義』(2007)という本があ…

ひとつの区切りとはじまりの合図ーー2023年を振り返るーー

2023年が終わろうとしている。今年は激動の一年だった。 依頼の原稿の仕事も(私にしては)多かったし、11月には昭和文学会の秋季大会で学会発表とシンポジウムも経験した。詩も書いた。短歌も始めた。でも一番は、人間関係が激変したことである。たくさんの…

誰かを愛するということ

ただ、われわれは、めいめいが、めいめいの人生を、せい一ぱいに生きること、それをもって自らだけの真実を悲しく誇り、いたわらねばならないだけだ。問題は、ただ一つ、みずからの真実とは何か、という基本的なことだけだろう。(中略)人生において、最も人…

中断したままの日記

※ご無沙汰しております。久しぶりの更新になります。 私は、およそ4年前に、適応障害から鬱病を発症するまで、約15年間、日記をつけていた。そのノートの数は、およそ100冊にもなる。 日記、といっても、それはまさしく「雑記」であり「ネタ帳」であった。日…

宣伝ならびに文学について最近思ったこと

突然ですが、最初に少しだけ宣伝をさせていただきます。 2023年11月11日、追手門学院大学茨木総持寺キャンパスで開催される、昭和文学会秋季大会「特集:女性の/エッセイ再考」に、「批評とエッセイのあいだ――三枝和子『恋愛小説の陥穽』をめぐって――」とい…

きょう10月20日は坂口安吾の誕生日です

日付が変わる前に。あなたに出会って、わたしは変わった。大切なことを、あなたは、たくさん、教えてくれた。あなたの言葉があるだけで、わたしは生きて行こうと思える。坂口安吾。ありがとう。愛しています。これからも、ずっと。 「桜の森の満開の下」彼の…

つらつらと、暴言も含めて

大学で、近代文学を教えている。授業で話すことはもちろん用意して臨んでいるが、しゃべりながら、ふと、気づくこと、解ることも、たくさんある。きょうも、そうだった。 文学と空間(土地や場所)をテーマに、さまざまな作品の「描写」の部分を資料にし、解説…

思い出すことなどーーメモのような幼少期の記憶

ガストン•バシュラールではないけれど、あるいは、三つ子の魂百まで、ではないけれど、幼少期の記憶というものは、やはりそのひとの一生を決定してしまうもののようである。それについて、いつか、まとまったものを書くことがわたしにもあるかもしれないと思…

さみしさについて

さみしい、という感情を抑圧するようになったのは、いつ頃からだっただろう。 それは、母に自分を見てもらいたいという気持ちと、密接につながっていたような気がする。母は、子どもたちに関心がなかった。いつも自分の興味を追いかけていた(最近、わたしは…

書くことと傷つけること

また、急に、書きたくなったので。 わたしは、本質的に他人に興味がなく、だからこそ、まさに人間を描くと言える小説を書くことができない。書きたいという欲求を抱いたこともほとんどない。もし書くとしたら、坂口安吾の「桜の森の満開の下」のような救いよ…

言葉の切実さ

久しぶりに、ちょっとだけ、書く。 わたしは教員をやっている。このブログの他に、noteでは詩を書いている。最近では、短歌も始めた。その内容は、必ずしも教員にふさわしいものではない。死ねとか、地獄に堕ちろとかいう詩、あるいは短歌。 だから、最初は…

お知らせ

いつもありがとうございます。 業務多忙につき、11月中旬ぐらいまで、ほとんど更新できないかと思います。せっかくお出でいただいたにもかかわらず、本当に申し訳ありません。よろしくお願いいたします。

ハーバート・ロス『マグノリアの花たち』(1989)

ロバート・ハーリングの原作•脚本がとにかく素晴らしい。ぜひこれを舞台でも観たいと思うのである。 映画を観たとき、珍しく私は、一日でも長く、母より生きねばと思った。母とは長年の確執がある。母への感情は複雑で、乗り越えても乗り越えても、乗り越え…

清水宏『簪』(1941)

夏休みのあいだ、山中の温泉宿に集った泊まり客たちの長屋のような人間模様を描きながら、落とし物の簪をきっかけに巻き起こる騒動とドラマが作品の中心となる。清水宏の映画(大好き)は、細部で成り立っているので、筋よりもその細部で印象に残ったところ…

衣笠貞之助『鳴門秘帖』(1957)

前の記事が陰惨なので、早めに下の方へ、下の方へと送ってしまおうと思います。というわけで映画のお話。 1957年の大映映画。原作は有名、もちろん吉川英治。長谷川一夫、市川雷蔵、山本富士子、中村伸郎、滝沢修などの豪華キャストであるが、もちろん観た目…

母との戦い(のはじまり)

母からも家族からも卒業したい。いま、わたしは、そう思っている。 先日、珍しく母と衝突した。と言っても、その関係はこれまで、決して穏やかだったわけではない。むしろ、複雑で、見えない確執の時間だった。 わたしは、不仲な両親のもとで育った。基本的…

アルフレッド・ヒッチコック『泥棒成金』(1956)

何度も観ているはずなのに、ほとんど忘れていた。そのあたりに、この映画の秘密があると思います。グレース・ケリーが、押せ押せのかわいい「女の子」を演じていたことに驚く(って、『裏窓』もだな)。私のなかではきれいな「女の人」だったのに。しばらく…

伊勢の旅(中上健次と中里介山)

中上健次の『紀州 木の国・根の国物語』と、中里介山の『大菩薩峠』に憧れて、伊勢へは二回行った。今でも、ときどき思い出す。駅のレンタサイクルの窓口にいたおばさんの、あれは伊勢言葉というのだろうか、独特のイントネーションも、はっきりと耳に残って…

ルネ・クレマン『居酒屋』(1956)

予想よりはるかによかった。よく、あのゾラの代表作を、2時間弱のコンパクトかつきちんとした骨格を持ったドラマにまとめたよ。ルネ・クレマン、さすが。 出だしで、あ、これはいいと思うのは久しぶり。オープニング。ジェルヴェーズが窓から外を眺める。モ…