高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

伊勢の旅(中上健次と中里介山)

中上健次の『紀州 木の国・根の国物語』と、中里介山の『大菩薩峠』に憧れて、伊勢へは二回行った。今でも、ときどき思い出す。駅のレンタサイクルの窓口にいたおばさんの、あれは伊勢言葉というのだろうか、独特のイントネーションも、はっきりと耳に残っている。

伊勢附近の地名(駅名)には情緒がある。漕代、斎宮、明星、明野、五十鈴川。のどかな風景。人と自然とが、今のように分断されていない時代の空気を残した土地。京都から、かつて斎宮となる皇女がここへ来たのだということを実感として残す土地。関西は業が深い。奥が深いとは、つまり業が深いということだ。これはけなして言っているのではない。文学をやる者として、むしろ羨望のまなざしで、関西を見ている。朝熊岳を「アサマガダケ」と読ませることも可能にする日本語。単純な文字にいくつもの意味を持たせることの得意な民族。

レンタサイクルで伊勢市内をまわる。天気も良く快適。観光案内所のおばちゃんの言葉がきれいで驚く。完全に西の言葉。外宮へ。かなり感動。農業をはじめとする産業の神だからか。伊勢は陽性、前に訪れた熊野は陰性。死者の国。中上の言うように、「隠国」。伊勢は豊饒な国である。

大菩薩峠」の間の山の巻の舞台へ。旧参宮街道。人通りはほとんどない急な坂。たしかに、外宮から内宮までひとやまを越える。文章を実感する。内宮と外宮との間にあるから間の山。そのままだ。地図だけでは絶対にわからない。

昔の面影を残している。つまり、業を感じるということ。山の頂上あたりが古市で、そこで隠岡遺跡という看板を見つける。重要な登場人物のひとり、米友のいた隠ヶ岡。急きょ左折。たしかに遺跡はあった。

内宮は、私としては正直期待外れ。外宮の方が断然良い。これでは商魂たくましいただの観光地である。ほとんど何の感慨もなくまわり、出発。「赤福」購入のために一時間並んだ。

今度は間の山越えではなく御幸道路を走る。なだらかで広く、ずっと走りやすい。度会橋をめざす。「わたらい」と読むことを初めて知った。隣の家とのすき間が極端にない地区。大きさの違う積み木を組み合わせたような密集ぶり。共同体の匂いがする。行ってよかった。あの雑然とした感じが、郷愁というかせつなさを感じる。

駅前に戻る。途中、すれ違った親子の会話。母はもう老いている。

母「内宮は歩いて行ったっけね」

娘「外宮へ行って、バスで内宮へ行ったのよ」

母「ああ」(とメモを取る)

母「歩いて行ったのは内宮、外宮へ行って…(以下、もぞもぞ)」

娘「外宮へ行って、バスで内宮へ行ったのよ」

母「ああ、そうか」(とメモ)

以下、三回ぐらい同じことを繰り返す。おそらくこの母親の希望で伊勢に来たんだろうが、どこへ参ったのかもよくわからないのが、いかにも日本の庶民という感じがした。

昼に入った喫茶店でエッグサンドとアイスコーヒーを注文したが、その卵はオムレツ。京都のフランソアもそうだったが、西のたまごサンドはみなそうなのだろうか。付け合わせにポテトチップス。そして柿ピーが付いてくるところは、名古屋の影響か。しかし人々が話す言葉は明らかに関西訛りである。三重は境界上にある。岐阜、滋賀もか。ボーダーの県。名古屋は明らかに近代的な工業都市だ。

人々の言葉があたたかい。注文した品が運ばれてきたら「ありがとう」と言う。支払いを済ませたあとも「ごちそうさま」ではなく「ありがとう」。旅の楽しみのひとつに、その土地の方言で交わされる会話を聞くことがある。私にとっては、これが意外に大きいのである。

中上健次中里介山。日本の根っこでつながっている。