高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

原点に帰る(ものを書くことについて)

某学会誌に投稿した論文が、査読で落ちたので、少なからずショックを受けている。参ったな。しかし、48歳になっても、落ちるひとは落ちる。だからもし、これを読んでいる若いひとで、似たような経験をしたことがある方なら、何も気に病む必要はない。大いに落ち込んで、また、生きればいい。書きたいなら書けばいい。大丈夫、若さは力です。

今回の反省点はいろいろあるのだが、いちばんは、自分の書きたいものを書きすぎた、ということだ。論文には型がある。暗黙の了解がある。傾向と対策ではないけれど、プロならば、ある程度は、相手の求めに応じたものを書かねばならない。しかし、迎合しすぎても自分を見失う。その匙加減が難しい。これは結局、自分で体得するしかない。

私にとって、ものを書くということは何なのか。原点に帰って、もう一度考えてみる。最も大事なのは、かたちにして残すことだ。評価は二の次。これは、かつて、先生からもらった、ロマン•ロランの手紙の複製に由来する。それは、無名のユダヤ人作家に宛てて書かれたもので、だいたい、次のような内容であった。すなわち、あなたの、人びとの人間性を解放するための努力や情熱はよくわかっている、だがあなたは現世代の人びとのなかでそれに成功するかは疑問に思う、しかし、あなたの書いたものは残るでしょう、と。

私はこれを、パワハラを受けまくっていた、大学の助教時代にもらった。文学への志が挫けそうなときだった。以来、自分は、成功するか否かに関係なく、ひたすら書き残して死のうと思った。書くために、生き抜こうと決めた。だからこそ、その後、高校教員になって、ものを書く時間も体力もなくなったときは、文字通り地獄の苦しみを味わった。このまま自分は、教員として終わるしかないのか。自分には書く使命がないのか、と思った。迷い苦しんだ十三年間だった。

したがって、適応障害で高校教員を辞めなければならなかったときは、正直言ってうれしかった。まだ、自分には書く道が残されているのかもしれない。寝たきりで論文は書けなかったから、詩を書き始めた。執念だった。当時のTwitterに、ぽつぽつと、詩のようなものを記しては上げた。そして五年を経たいま、もうすぐ第一詩集が出る。

繰り返しになるが、わたしにとっていちばん重要なのは、とにかくたくさん書き残すこと。プロならば、相手の要求に応じたものをきっちり仕上げること。その他に、自由に書ける場を作っておくことも大事。そうしないと、奴隷になってしまうから。このブログや、noteを始めたのも、自分の言葉を残すためだった。わたしが削除しない限り、死んだ後も残る。

いつか、誰かひとりに届けばいいのだ。だからわたしは書く。生きて、書く。書けるだけ書いて、今世の生を終えたい。わたしにできることは、それだけ。