高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧

お知らせ

いつも当ブログにお越しいただき、また、拙い記事をお読みいただき、本当にありがとうございます。 現在、本業である研究が多忙を極めているため、しばらくの間、更新頻度が減るかと思います。 ご理解のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

小津安二郎についての未完成の覚書

小津安二郎の映画に最初に惹かれたのは、中学生の頃だったから、もうずいぶんとむかしになる。それこそ、何度観たかわからないが、自分が40歳になるかならないかの頃だろうか、ふとした気まぐれから小津安二郎の作品ををいくつか観直して感じたのは、彼の作…

遠藤周作『沈黙』をめぐって――文学と宗教のことなど

この作品には、思い出が二つある。時系列で言うと逆になるが、どうしてもこの順番で書かなくてはならない。 ひとつは、学部、大学院の指導教官の話。この方は、それなりに名の通った研究者であり批評家でもあって、全盛期の頃は多くの文学者と交流があった。…

ジュリアン・デュヴィヴィエ『地の果てを行く』(1935)

いやー、すごい映画を観ちまったぜ……。 単純な筋なのに、ものすごいドラマティック。しかも飽きさせない。ひとえに、俳優の演技力、存在感、そして映画ならではの編集方法に尽きる。 まず、冒頭からやられた。 人を殺してきたピエール(ジャン・ギャバン。若…

樋口一葉『たけくらべ』

完璧な文学作品というのはそうそうあるものではないが、樋口一葉の『たけくらべ』は、紛れもなく完璧な文学作品である。 今さらこの作品に私ごときが何を付け加えることがあるだろうとも思うが、間違いなく日本近代文学の財産であるこの『たけくらべ』の感想…

表現ということ②

※①からのつづき 井伏鱒二の「本日休診」に、次のような箇所がある。 開業一周年の記念日には、「本日休診」の札をかけ、八春先生が留守番で、ほかのものはみんな遊山に出ることにした。伍助院長、内科主任の老医宇田恭平さん、看護婦の滝さん、お須磨さん、…

表現ということ①

※「現代文学史研究」第20号(2014年6月発行)より 最近、写真を、ふたたび、撮り始めた。 学生のころの一時期、写真の道に進もうかと考えるほど、結構本気で取り組んでいたのだが、読んだり書いたりすることに忙しくなってから、そちらの方が面白くなり、し…

豊田四郎『雪国』(1957)

あらかじめお断りしておきますが、以下、ボロクソにけなしております。この映画がお好きな方は、閲覧をおすすめいたしません。それでも大丈夫、という方のみ、どうぞ。読者の方、減るかしらね……。 率直に言って、愚作。川端康成の作品は、本質的には絶対に映…

日沼倫太郎『文学の転換』のこと

この文章が、いつか、誰かの目にとまることを祈りつつ。 日沼倫太郎は、私の尊敬する批評家の一人である。四十三歳の若さで死んだこの人のことを知る者は、今は少ないに違いない。係累のない、いわば叩き上げの人で、そういう文学者が集った保高徳蔵主宰の「…

ジーン・ウェブスター『あしながおじさん』と「少女」をめぐる断想

オルコットの『若草物語』、モンゴメリ『赤毛のアン』、そして、ウェブスターの『あしながおじさん』。こういった物語が、日本にはない。そう、少女時代に、誰もが通過儀礼として読むような文学が。私はそれを、非常に不幸なことだと感じている者である。 そ…

人間であることの限界について

私は、現在、鬱病を患っている。もう四年になる。初めは、適応障害だった。私は、常にもの書きでありたく、文学研究の道に進んだ。大学にも勤めたが、しかしその後、生活のために、長く、高校教員の仕事に携わらなければならなかった。その仕事は多忙をきわ…

地獄界について

「人生は地獄よりも地獄的である」(芥川龍之介) 地獄界とは、仏法だと、生命状態のひとつで、苦しみに打ちひしがれた不自由な状態、境涯を指す。いわゆる「イメージ」として定着している、火あぶりにされるとか、閻魔大王に舌を抜かれるとか、そんなもので…

木下惠介『カルメン純情す』(1952)

『カルメン故郷に帰る』(1951)も大好きな映画だが、シニカルなこちらの方が私の好み。怪作である。今まで観た日本映画の中でも、ベスト10に入るであろう作品。とにかく笑った。 木下惠介の才能を思い知らされる。わが淡島千景様はクレジットタイトルでは3…

言葉について

※「現代文学史研究」第19号(2013年12月発行)より 福島県のいわき市に移り住んで、半年が過ぎた。 私の勤める私立高校には、担任をしている特別進学コースの他に、普通科と、保健体育科とがある。私は、そのすべてにおいて授業を担当している。新任の教員に…

レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』の恩恵

その時々、あるいは年年で、好きなタイプの人間というものは違う。たぶん。 40歳を過ぎた頃、この年にして、ようやくというか、これぞ理想の男、という人に巡り合った。フィリップ・マーロウ。彼を知った時、私は何か、自分の人生がひとつ打ち止めになったと…

『吉田喜重が語る小津安二郎の映画の世界』を観て

これは、まず、吉田喜重のすぐれた批評である『小津安二郎の反映画』(岩波現代文庫)をベースにつくられたドキュメンタリーであるということ。したがって、両者の比較を試みるのも、決して無駄ではないだろう。 DVDが始まって間もなく、これは、観たことが…

なぜ、文学なのかーー思いつくままに、自己紹介的な

このブログの投稿記事も、110回を超え、訪れてくださる方々も、だんだん増えてきました。ありがたいとしか言いようがありません。いつも、本当にありがとうございます。読んでくださる方が一人でもいるだけで、私は幸せです。きょうは、自己紹介を兼ねて、私…

少し、ドストエフスキー『罪と罰』のこと

生きているのがいやになってしまうような、あるいは、苦しくてページをめくることにためらいを覚えるような、あるいは、人間存在のやりきれなさに打ちのめされるような、まあ、どんな言葉でも意を尽くすことができないのだが、そういう読書体験が、いくつか…

成瀬巳喜男『女の中にいる他人』(1966)

※ネタバレあります。 まず告白しておくが、アホなことに、『女系家族』での若尾文子の印象が強く、大映映画を観よう!なる企画を勝手に立ち上げ、ろくに見もせず借りたDVD、もちろん若尾文子の作品だと思い込んでいた(だいたいこの時代の映画はタイトル…

ロバート・Z・レナード『ダンシング・レディ』(1933)

本日5月10日は、私の永遠のアイドル、フレッド・アステアの誕生日であります。1899年の今日、彼はこの世に生を受けたのでありました。 さて、なぜ私はこんな今では誰も観ないような映画を見たのか。何のことはない、フレッド・アステアの映画デビュー作だか…

鈴木真砂女『銀座に生きる』と俳人の散文

「文士」という言葉には、サムライの文字が入っている。 中上健次が、まだデビュー間もない頃、遠目に、和服姿の佐多稲子を見て、何とかっこいいのかと思ったことがある、と誰かとの対談で話していたけれど、このときの佐多稲子は、紛れもなく「文士」の姿だ…

山口瞳『血族』

一枚の写真から一篇の物語が始まることは、よくある。太宰治の『人間失格』なんかがそうだ。 この山口瞳『血族』は、あるべきはずの写真が「ない」ことから物語が始まる。 したがって、これは本当によくできた「小説」なのである。しかし、小説の作り物感が…

陳凱歌『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993)

誰にでも、忘れられない映画というものがある。その映画の、純粋な出来不出来とかいうことではなくて、その時の生にとって忘れられないという意味においてである。 私にとっての、『さらば、わが愛』は、まさしくそういう映画だった。 この映画は、日中戦争…

常磐の海と磯原シーサイドホテル

国道6号線を、南へと、車を走らせる。 山あいの湯本を抜け、植田の古い商店街を過ぎてほどなくすると、突如、左前方に視界が開ける。 勿来の海だ。 緩やかにカーブした海岸線の道で、心持ちスピードを上げる。 もうすぐ、いわきから出られる。 いわき市で暮…

スティーヴン・スピルバーグ『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』

1989年公開で、私は珍しくこれを公開時に観ている。中学2年生だった。あまり良いスピルバーグ映画の観客ではないが、これは好きな作品である。ビデオでも、DVDでも、あるいはテレビ放映されていても、ついつい観てしまうのだから、よほど好きなのに違いな…

旅あれこれ ①

旅が好きである。というより、旅をしないと気が狂いそうになる。というより、いい年をして、いつも、ここから逃げ出したいという願望が付き纏うて離れないのである。 昔、たしか味も素っ気もない相模原市に住んでいた頃のことだったと思うが、今よりも日常生…

市川崑『日本橋』(1956)

映画がどうこうより、まぎれもない鏡花の世界があって、そっちに引きずられました。セリフとか。 淡島千景と山本富士子、若尾文子という大女優の競演だが、おケイちゃんこと淡島千景は、ハマリ役とは言えない。しかし、あとの二人が完全に位負けするほどの存…

ジュリアン・デュヴィヴィエ『望郷』(1937)

映画のお手本のような作品。 まず、人物の配置。主人公の男女と、男の愛人がからむ三角関係。 カスバという場所。 敵でありながら、どこか仲間のようなスリマン刑事。最後は、ペペを捕える側にまわるが、友情も感じている、クセのある脇役である(私の好きな…

木下惠介『善魔』(1951)

映画の内容とはまったく関係のないところから反省。しばらくアニメばかり観ていたとはいえ、『ニノチカ』以来(日記によれば約5か月ぶりである)の映画鑑賞とは、いくら何でもひどすぎる。 だから、久しぶりの、モノクローム&昭和な世界が、ひどく懐かしか…