高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

言葉について

※「現代文学史研究」第19号(2013年12月発行)より

 

福島県いわき市に移り住んで、半年が過ぎた。

私の勤める私立高校には、担任をしている特別進学コースの他に、普通科と、保健体育科とがある。私は、そのすべてにおいて授業を担当している。新任の教員にいくら何でもそれは酷だろうとも思ったが、仕事なので致し方ない。

それぞれ、授業の内容も全く違う。教科書を使ったオーソドックスな読解はもちろんのこと、基本的な漢字の読み書き、原稿用紙の使い方、センター試験から難関大学の入試対策までと、実に幅広い。一日の大部分が教材研究に費やされる。

娯楽の少ない地方都市である。自然と、言葉そのものについて考えることが多くなった。

山がある。海がある。田畑がある。美しいという言葉では間尺に合わないほど、それらは荒々しくのしかかってくる。夜、散歩に出る。静まりかえった山の稜線に月がかかっている。山も、月も、何もいわない。ただ、在るだけだ。しかし、そこには確かに、言葉がある。風景が何かを語りかけてくるのか、私の心のなかにある言葉なのか、それはわからない。しかし、私は、ここに来て、古(いにしえ)の人びとが歌を詠み続けてきたその心持ちを、はじめて了解したような気がした。

 

ずっと、絵にも、音楽にも、言葉があると思っていた。

たとえば、ショパンの「雨だれ」を聴く。格別に好きだというわけでもないのだが、聴くたびに、嫉妬と羨望にさいなまれる。なぜか? 「雨」以上に「雨」だからである。こんな作品は、めったにあるものではない。しかし、こういうふうにも考える。もし、「雨だれ」という題名がついていなかったとしたら、はたして私は、同じような思いを抱いただろうか――言葉というものについて立ち止まるのは、こんな時である。

「悲しい」という言葉がある。その「悲しい」にふさわしいだけの悲しみをたたえた「悲しい」でなければ、私は不満である。「悲しい」を超えた「悲しい」ならば、もはや何もいうことはない。いつも、言葉には、それそのもの、あるいはそれ以上の何かを求めている。そういう言葉を発したいと思っている。しかしたいていはかなわない。せいぜい、その周辺をうろうろするだけである。書くそばから、話すそばから、自分の言葉に幻滅していく。はっきりいって地獄である。そのうち、自分のなかで無意味な言葉ばかりが氾濫するようになった。窒息しそうだった。

そして、本当に、話すことも書くことも嫌になって、やめてしまった。それから三年が過ぎた。

 

学校で、国語なるものを教えていると、あるむなしさを感じる時がある。言葉を言葉で説明することの不毛さである。これほど簡単なこともなければ、これほど難しいこともない。

先日、たまたま妹と話していた時に、そういえば、国語の授業って何にも覚えていないなあ、古文と漢文は文法があったから別だけど、といわれた。そうであろう。私だって覚えていない。

批評も同じだ。文学作品を批評するということのむなしさ。やりきれなさ。そもそも、その作家や作品に何かしら感じるものがあったからこそ書こうとするのだから、たった一言、読んでみてくださいとだけいえばそれですむのである。しかし、現実では、膨大な量の紙と文字、時間、労力が費やされていく。

対象を超えるような批評を遺したのは、思いつく限りでは、小林秀雄保田與重郎ぐらいである。この二人が、美術を、音楽を、風景を、つまり、常識的に考えて言葉を持たないものについても論じたことには、彼らの興味・関心が多岐にわたっていた、というだけではすまされない「何か」がある。

 

昔、中野重治の『鷗外 その側面』を読んだとき、「この本のもとの名は『鷗外 側面の一面』であつた。ところが一、二の人があつて、せめて『鷗外 その側面』としたがよかろうといつてくれた。わたしは忠告にしたがつたが、中身には変りないから、どこまでも側面の一面を出ない」といった、一見何でもないような前書きにさえも、中野重治という人間の、言葉に対する鋭敏な感覚が溢れていて、ひどく感動したことを覚えている。

彼にとって、この作品は、どうしても「鷗外 側面の一面」でなければならなかった。佐多稲子の『夏の栞―中野重治をおくる―』に詳しいが、死ぬ直前、癌で入院した中野は、見舞いに来た彼女に、次のようにいった。「医者の間には、癌をうたがう、という言葉があるが、ふつうなら、癌ではなかろうかとおもう、というところを、癌をうたがう、と云うのは、ドイツ語の直訳からきているのだろうね」。いかにも彼らしい、と思う。

私にとって中野重治というのは、一代かぎりの、それも天才のなかの天才で、それは、真の意味で彼の文学を受け継いだ作家がその後出ていないことからもわかる。小林秀雄も、保田與重郎も同じだ。模倣者(エピゴーネン)は無数に出たかもしれぬ。しかし、本物と偽物の言葉は違う。本物の言葉は、誰かに理解されることを祈りつつも、同時にそれを永遠に拒んでいる。

 

言葉とは、何なのだろうか。どこまでも完全には表現しきれない有限性を持ちながらも、無限に思いを込めることのできる、この言葉というものは、いったい、何なのか。

教え子のなかに、きわめて口数の少ない少女がいる。彼女の言葉は、他愛のない話でも不思議と胸を打つ。何というか、少ない言葉で、言葉のかぎりを尽くすという感じなのである。言葉を発する前の表情が、実はもっとも雄弁に彼女の内面を物語っていたりする。

本人は、語彙が少ないと思いこんでいて、それをひどく気にしているが、決してそんなことはなく、国語の成績も、むしろ優秀な部類に入る。

ある時、たまたま、言葉の話になった。彼女は、いつものように、ぽつり、ぽつりと、しかし丁寧に、言葉を選びながら、こういった。

「言葉を、選んで、選びすぎて、ついには言葉がなくなる」

ひょっとしたら、私が求めている、本当の言葉とは、それが発せられる前と、この子がいうように、すべてを取り払って何もなくなった地点にしかないのかもしれないと、この時ふと思った。

 

私の考えていることなど、とうの昔に先人が答えを出しているだろう。私がたんに不勉強なだけである。しかし、たとえその答えらしきものに出会ったとしても、はたして自分が納得するかどうかは怪しい。

生まれた時から、もらって一番嬉しかったのは、言葉だった。ひどく傷ついたのも、やはり言葉によってだった。これからも私は、言葉について考えるだろう。書いて、話して、そのたびに、もどかしさに怒り、絶望し、ひとしきり泣いて、また、懲りもせず、言葉とは何なのかと思い、言葉を発し続けるだろう。

それにしても、何と忌々しいものに取り憑かれたのか。そして、このうえなく幸せなものに出会ってしまったのか。心は揺れる。

言葉とは、何なのだろうか。その答えは、きっと、死ぬ時にわかる。今は、わりとそんなのんきな気持ちでもいる。