高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

学問的な「性」の話を少し――笹間良彦『図録 性の日本史』

現在、論文の仕事が詰まっている。授業もある。脳は常に興奮状態である。それを少しでも冷ますために、別な文章を書く暴挙に出る。それがこのブログである。まったく自分のためにやっている。来て下さる方々には、本当に申し訳なく思っています。

さて、仕事柄、当たり前だがいろいろな本を読む。たとえばある小説を読んでいて、その主人公の住む家がある新開の町にあったりすると、気になって矢も楯もたまらず明治時代の地図を調べに出かけたりする。そういうことが根っから好きである。

私がやっているのはいちおう近現代の文学ということになるが、それが言文一致、口語文で書かれていたとしても、分からないことはたくさんある。意味を取り違えて、あるいは勝手にイメージして読んでいるような箇所も無数にあるはずだ。

私は、樋口一葉の『たけくらべ』で、信如が美登利に送る水仙が造花であることの意味が、当時は近代化の影響で、本物、自然のものより、人工の方が高級だという認識が反映されていることを知ったとき、衝撃を受けたことを覚えている。

関係ないが、今、高校では「言語文化」「文学国語」という科目があるけれど、明治以降のものなら何でも近現代文学とするのはもういい加減にやめた方がいい。ものぐさもいいところである。森鷗外の『舞姫』には現代語訳が付いた。日本文学を学ぶ学生の一人が、三島由紀夫を「昔の作家」と言ったときはショックだった。彼女にとって、死んでいれば皆「昔の作家」ということになるらしい。

閑話休題。そんなわけで、明治や大正の小説を読んでいて、一番わからなくて困るのはその時代の風俗である。とくにこれが性のこととなると、戦前までのものはほぼ絶滅してしまっているので余計に困る。それでいろいろ探して、見つけたのである。それがこの笹間良彦の『性の日本史』である。

偉大なことにこの本は、「第一部 古代編」から始まっている。天地の始まりから国生みの媾合(まぐわい)、弓削の道鏡、古典に表れたる性に関する記述がなんと十七章も設けられている。「第二部 中世編」になると白拍子があるし、「第三部 近世編」になると吉原の遊女を筆頭に、宿場女郎、飯盛女、夜鷹といった池波正太郎的世界のほか、枝豆売、麦湯、竈払いといった、いったいこれは何なのかと思うものまで網羅されている。江戸時代の性具、なんてのもあります。

「第三部 近代編」「第四部 現代編」になると、だいぶ自分の専門分野に近づいてくるので、私はずいぶんとこの本にはお世話になった。銘酒店などはまあいいとして、「大森の砂風呂」というのは、確か何かの小説に出ていたはずだ。多分当時の人は「大森」だけでわかったのだろうけれど。「白々」は吉行淳之介のエッセイだったかなあ。「花電車」がまさかこんな意味があったとはねえ、と、単純に読んでいるだけで面白い。というか、ためになる本です。付録も充実!

しかも、何とも形容しがたい、きわめて学術的な挿絵がどのページにもあります。少なくとも、興奮するようなものではありません。

最後に、どうでもいいことであるが、私が最初にこの本を見つけたのは、大学の図書館だった。こういう本を求めていた私は狂喜乱舞した。他の数冊とともに、貸出カウンターに持って行った。カウンターの中の人は貸出処理をした。そして、一瞥すると、わざわざ、『性の日本史』を、他の本のサンドウィッチにして、見えないように私に渡してくれた。

私は、その心遣いに傷ついた。まったく、よけいなお世話である。