高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

東日本大震災当時に考えた「震災」と「文学」

こんなメモが残っていた。これは、震災当時に書いたものだろう。

                                        

震災詩とは、震災後の文学とは、早くもそんな言葉がメディアに踊っている。テンションが高い。浮足立っている。

私は、嘘だ、と思った。

Twitterに流れる、膨大な量の、震災について、原発事故について書いた詩。この詩は、果たしてどれだけ残るのだろう。原爆文学と同じだ。人が批判を差し挟む余地がないものが、文学と言えるのだろうか? これにケチをつけるものは、有無を言わさず悪人扱いを受けるだろう。叩かれるだろう。

戦争、原爆、震災、そして原発――為す術がないような絶対的現実を題材にして、詩は成り立つのだろうか? 感情の垂れ流しは、詩なのか?

Twitterでほぼリアルタイムに流される詩。それは、その迅速さこそが生命で、当然言葉が洗練されることは二の次になる。それは詩なのだろうか。詩人であれ何であれ、紡ぎだす言葉がそのまま文学になる例はほとんどない。

斎藤茂吉が息子である北杜夫に、昔は線香の火が燃え尽きるまで歌を作る鍛錬をしたことを語っている。また北は、戦時中、山形に疎開した茂吉が、散歩に出てはサンダワラに腰を下ろし、身じろぎもせずに歌を作っていた光景を記している。たった三十一文字で、それである。文学とはそういうものだ。

保田與重郎は「元禄の蕉門の人々は、祖師のきびしい教へに従つて、人の一代に、十句の俳句をなせば、以て生甲斐とするに足ると信じ、その信に生きた。十七文字の短詩をたつた十つくるといふことに、人の生命の一代をかけて悔なしとした人々」と言っているが、文学とはやはりそういうものだ。

それとも、それほどのスピードで発信しなければならないほど、日本は忙しい国になってしまったのだろうか? 震災ブームが去る? そう、去るのだ。震災から三カ月、すでに震災の話題は去りつつある。

9.11もそうだった。戦争もそうだった。それは、記録としての価値はあるだろう。稀有なめぐり合わせでその事態に直面した時、文を生業とするものでなくとも、記録したい、伝えたいという欲求にとらわれるはずだ。それは表現の根本である。しかし、かりそめにも文人を自称するなら、その根本を越えなければ本物の文人とは言えない。

文学はいつも最後にやってくる。文学は、現実であって現実でないものを描くのだ。大津波の前にははかなく散る、全くの無用のもの、現実の前には無力であるもの。しかし、現実を超える資格を持つものである。生々しい現実、生々しい感情そのままは文学ではない。感情の垂れ流しは文学ではない。断じて、ない。

己の悲しみを人類の悲しみに昇華させてこそ文学である。

私には、次のような子どもたちの言葉の方が、よほど〈文学〉である。「毎日新聞」に掲載されていた記事だ。

 

ない

 

見わたせば

なにもない

そこにあるはずの

風景

思い

ぜんぶない

でも

そこにあった

ものをとりもどす

ために

がんばっている

ぼくたちには

まえとはちがうが

必ずいいものが

帰ってくるだろう      (岩見夏希)

 

3月25日

親せきの人の携帯に電話がかかってきました。内容は、お父さんらしき人が消防署の方で見つかったということでした。急いで行ってみると、口を開けて横たわっていたお父さんの姿でした。ねえちゃんは泣き叫び、お母さんは声も出ず、弟は親せきの人にくっついていました。顔をさわってみると、水より冷たくなっていました。

ぼくは「何でもどったんだよ」と何度も何度も頭の中で言いました。「おれがくよくよしてどうすんだ」と自分に言いました。でも、言えば言うほど目がうるんでくるばかりです。お父さんの身に付けていたチタン、東京で買った足のお守りや結婚指輪、携帯。そして驚いたのが時計が動いていたことです。お父さんの息が絶えた時も、津波に飲み込まれている時も、ずっと。

お父さんの時計は今はぼくのものになっている。ぼくがその時計をなくしたりすることは一生ないだろう。

 

4月7日

きょうは、ありがたいと心から言える日でした。お父さんとぼくたちの記事を見て、お父さんが東京マラソンを走った時の写真とお手紙を新聞の人が持ってきてくれました。ぼくたち家族に贈る言葉や、さらにはぼくに贈る言葉の手紙もありました。やっぱりお父さんはすごい。今日は本当にありがたい日だ。

(箱石佑太)

                                        

震災から、10年以上が過ぎた。しかし私の詩に対する考え方は、何ひとつ変わっちゃいない。

ポストコロナ、という言葉が溢れた時期もあった。だが今はどうだ?コロナは政府の力によってただの「風邪」になり、人びとはマスクを外し始め、日常生活を謳歌している。私はコロナで二人の知人が死んだ。家族の悲しみは癒えていない。文学は、そういうところにあるのではないか?

ウクライナとロシアの戦いだって、日本では遠い過去のものになっている。怖ろしい速さで時間が過ぎていく。今この瞬間も、人が死んでいるというのに。

少し立ち止まれよ。そこにしか、文学はないよ。