高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

デヴィッド・フィンチャー『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008)

最初に断っておきますね。私、これ、かなり好きな映画です。

主人公は、肉体だけが80歳の老人として生まれて、だんだんと若返っていく一方、内面は成熟していく物語である。しかしこれはちょっと矛盾もあって、最初と最後、いちおう肉体は赤ん坊である。顔だけが違う。そして中身は完全に逆なのである。本当に逆行なら、でかい体で生まれなきゃならないわけだ。まあ、そんなこと無理だけどさ。

なんか似てるなーと思ったら、脚本が『フォレスト・ガンプ』と同じエリック・ロスでした。そう考えると、どこからどこまでも似ている。悪人が一人もいない。主人公がイノセントであること。その主人公と人々とのさまざまな出会い、そこから変化が生まれていく。まあ、キリストだね。

個人的には、『ベンジャミン・バトン』のほうが好みです。本質的には悲劇だし、ある意味、「死」を正面から取り扱っているから。

以下、思いついたこと箇条書き。

ブラッド・ピットがすげえ。演技力というより、まぎれもなくスター。ケイト・ブランシェットと組んで、存在感だけで拮抗できる人をはじめて見た。

ケイト・ブランシェット、冒頭の死にかけた老婆がまさか本人だとは!年を重ねてからのメイクが今の顔なので笑った。さらに年を重ねてからの顔が彼女憧れのジーナ・ローランズなのも笑う。本人の希望かな?それにしても、メイク以外でも世代によって声は変えているし、一度心の折れた人の演技をちゃんとしておったし、さすが。一番すごいのは出産シーンかな。さすが3児の母なだけあってリアリティありすぎ。産んだ後の顔の疲れ方。きれいに見せるとかいうこと、この人の頭にはあんまりないんだろーなー。デビッド・フィンチャーの解説で、「観客に解答を与える演技ではなく、問題を投げかける演技」ってやつ。それで案を出していくのね。

・ベンジャミンを守るような形で、女性たちがとてもよいです。特に育ての親になったクイニー(タラジ・P・ヘンソン)。初恋?の相手、ティルダ・スウィントン。デイジーの娘役のジュリア・オーモンド(本筋にからまず、ほとんど病室で座っているだけなのに見事)。あとの二人はイギリス人だけど、私ほんとにイギリス系好きだよなあ(ケイトもどちらかといったらイギリス系である)。

・育ての父ティジー(マハーシャラルハズバズ・アリ)も、ベンジャミンを捨てる父も、自分の身に雷が七回落ちた男(こういうエピソードがエリック・ロスらしい)も、老人ホームの人たちもみんなよし。

・生まれたときから死を見つめていくというのは、かなり重たいテーマではある。しかも、傍観者的に。ベンジャミンが自分の運命を嘆かないのがいい。そして、デイジーが、それを奇異に思わず愛することも。そう、起こることが当たり前のように静かに受け止められていく、そこにメルヘンが成立するんだよな。だからこそ、若返っていく自分とこれからの家族を考えて捨てるベンジャミン、それを受け入れるデイジーも、怒ったり泣いたりすることなく、当然のこととして受け止められることになる。ある意味、大人の映画です。

・『めぐりあう時間たち』でも思ったが、時間の流れの扱い方がとてもよいというか好み。映画でしかできないって感じがするからだろうか。そして、そこに生きる人たち、誰一人悪くないのに、みんな孤独。不毛でも人を愛する。それがせつない。デイジーとかも(これはもう、『フォレスト・ガンプ』のフォレストとジェニーの関係にかなり近い。サリー・フィールドの母とクイニーもかぶる。母はあくまで愛情深い)。

・50歳以上のデイジーのリアリティ(情事の後にパンストをはくシーン)、衝撃。あれをやれる日本の俳優がはたしてどれだけいるだろうか。いやケイト、すごいよ。まさか幼少期の声もご本人がやっていたとは!

・バイクにノーヘルでまたがるブラピは無条件にかっこいいですね、はい。永遠に時間を止めたいと思いました、いろんな意味で。

・逆行する時計をつくったエピソードが本筋とうまくリンクしていないような気もするのだが、このエピソードは映像の処理も含めてよかった。

・育った老人ホームに戻った子どものベンジャミンと、それを世話し、最期を看取るデイジーのシークエンスは、テンポがよく、あっさりとしているぶん感動する。全体的に、いかにも感動しそうなところはたんたんと描いているのがよい。

所詮、すべては時の流れや「死」に埋没していくということ。死に比べたら、いかなることも取るに足らないことで、残るのは愛だけだということでしょうか。