高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

『吉田喜重が語る小津安二郎の映画の世界』を観て

これは、まず、吉田喜重のすぐれた批評である『小津安二郎の反映画』(岩波現代文庫)をベースにつくられたドキュメンタリーであるということ。したがって、両者の比較を試みるのも、決して無駄ではないだろう。

DVDが始まって間もなく、これは、観たことがあると気づく。ナレーションの声で思い出したのだ。これを書いている今でもその声だけは思い出せるのだから、先日亡くなった吉田喜重という人は、よほどの人であるに違いない(映画監督という肩書を抜いても、という意味である)。

最初に見たのは、NHKのETV特集で全4回にわたって放映されたもので、自分の記憶力に今更ながら感服するが、93年に放映された当時から、ある程度吉田の言うことがわかっていたことに、もっと驚く。高校3年生である。そのくらい、当時から私は小津安二郎に傾倒していた。もちろん、今の方がよくわかるが。

つくづく、自分は「批評」が好きなのだとわかる。これは、ドキュメンタリーであって、吉田喜重による小津映画批評なのだが、180分という時間がちっとも苦痛ではない。これが「映画」だと、なかなかそうはいかないのである、私の場合。

全4回のベースになっているのは『東京物語』。

【1】サイレントからトーキーへ/映画との出会い 反復とずれ

まず、冒頭の空気枕と、老夫婦の東京見物のシーン。

【2】戦中戦後の軌跡/映画が言葉を発するとき

老妻が倒れた時の笠智衆のセリフについて。

【3】『晩春』と『東京物語』/限りなく開かれた映像

ここでは、老妻が亡くなった朝、日常としての「死」を。

【4】その短すぎた晩年/無秩序な世界につつまれて

東京で行き暮れる老夫婦、広すぎてはぐれたら二度と会えないというシーンに関して

確かに、『東京物語』は、小津の代表作である。芸術性と大衆性のバランスが絶妙である。小津自身が、メロドラマ的傾向が一番強い作品(正確すぎる自己分析)と言っているように、わかりやすい筋がある。

麦秋』は、どちらかといえば芸術性に傾く。何度観ても、シナリオがすごいと思う。ここで芸術的な完成度と、代表作は別なのか、という疑問が湧きおこる。

吉田によれば、小津の映画は、不動、不変の事物から、人間を眺める映画だという。小津は、映画で、この現実(人生)を表現できないと知っていた。切り取ることしかできないと。そこから、映画を「表現」することへの模索が始まる。それが、現実とのずれ、現実の反復を描くことだった。

小津は、脈絡のない映像を積み重ねる(モンタージュ理論なんだけどさ)。観客に自由な想像をさせる。私が小津好きなのは、自らの創造(作品)への懐疑があることだ。つまり、大変批評的なのである。創造することが不可能であると信じている人間が創造することの矛盾、という言い方を吉田はしていたけれど、まさにその通り。そういう人間以外、真の表現者ではない。小津映画は、無秩序な世界に、何らかの秩序をつくる試みであった、と吉田は語る。

小津映画のセリフのすごさは、前から感じていたけれど、『東京物語』の、「治るよ、治る治る、治るさ」は、初見のときから衝撃だった。反復とずれが、同じ言葉なのに、意味の変化をもたらしていく。これは、活字では限界があり、俳優という肉体を通して語られるものだからこそ起こる。

吉田によれば、小津には、俳優がセリフ(筋)を語ることへの不信があった。現実はもっと混沌としていて無秩序なのに、あたかも筋道のあるドラマとして語ることを、まやかしとして嫌った。それは映像だからこそのものである。こうなると、小津は反リアリズムの作家だったということになる。

『戸田家の兄妹』。この軍国主義の時代、理想とした家族像とは真逆の、家族の崩壊を描いた。逆に、崩壊を通してしか家族を描けなかった(これは当然である。芸術なのだから)。やっぱり、時代を考えなければだめだ、と思う。

吉田が「開かれた映像」という言葉を使っていたけれど、多くを語らずに、特に事物のみのカットが次々と入るその映画は、シンボリックと言えばシンボリック、きわめて日本的である。ひとつの感情に誘い込むこと(解釈がひとつになること)を嫌ったというのも、そうである。意味を持つ映像と直接的な意味を持たない映像とが、有機的に働いて、ひとつの生命体(映画)をつくるということを、もっと考えるべきだ。

ところで、これは蛇足だけれども、『風の中の牝鶏』の階段落ちは、絶対、シンガポールで観た『風と共に去りぬ』の影響だと思った(高橋治『絢爛たる影絵 小津安二郎』より)。

吉田喜重小津安二郎評価について、非常に共感した言葉がある。

「語ることの喜びよりも、語ってしまったことへの悲しみ(むなしさ)を知っていた」。いかに語るかではなく、いかに語らないか。これは私自身の一生の課題でもある。『東京物語』で、妻の死を他人事のように語ることで悲しみに耐えるというのもそのひとつ。

『晩春』に関しては、かなり詳細な解説がなされている。目からうろこだった。父と娘という映画の決まりごとを破壊して、女が立ち現れるということ。いつわりの、演技者としての俳優と、その俳優の、人間としての生身の肉体と、両方をすくい上げるということ、それはもはや演技の解体であるということ、これはすごい。

そして、それができるのが、原節子だったわけだ。

それから、映画の中の映画、聖と俗という二つの映画が存在するというのは面白かった。二元論で割り切りすぎるきらいはあるけれど、それは、私が『麦秋』から感じる、底知れぬ陰惨さと同じである。私なりの解釈を加えれば、聖の部分が、ぞっとするほど陰惨で暗い。俗な部分の明るさが、映画を救っている。

それがもはや解体され尽くしているのが、たぶん『秋刀魚の味』。父と娘の陰惨さは、笠智衆岩下志麻ではなく、東野英治郎杉村春子によって、未来のある姿として表現される。小津は、行きつくところまで行ってしまったか、高橋治の言うように、老いて、語らないことへの不安が生じたのか。それとも新しい可能性の萌芽だったのか。

つくづく、映画の勉強になった。いやほんとに。私も、いい仕事をしたい。そう思った。