高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

日沼倫太郎『文学の転換』のこと

この文章が、いつか、誰かの目にとまることを祈りつつ。

 

日沼倫太郎は、私の尊敬する批評家の一人である。四十三歳の若さで死んだこの人のことを知る者は、今は少ないに違いない。係累のない、いわば叩き上げの人で、そういう文学者が集った保高徳蔵主宰の「文芸首都」出身だった。

だがこの集団は北杜夫佐藤愛子中上健次津島佑子なども輩出していて、私が日沼倫太郎の名を知ったのも、卒業論文北杜夫を選んだときだった。参考文献の少なさに閉口していた私は、氏の著作にはずいぶんお世話になったものである。私が初めて憧れた批評家だった。

『文学の転換』は、彼の処女評論集である。今、手元にあるのは初版で、箱もなく、どこでどうやって購入したかさっぱり記憶にないのだが、目次は次のようになっている。

「Ⅰ 戦後文学論 死と瓦礫と青空の時――戦後文学とは何か」「Ⅱ 作家論 横光利一」、そして「Ⅲ 作家と作品」では、深沢七郎平野謙丹羽文雄竹内好曾野綾子泉大八大岡昇平川端康成大江健三郎江藤淳三島由紀夫が取り上げられている。そして最後は「Ⅳ 戦時下の文学 ナチス文学と批評的抵抗――芳賀・岩上・高橋義について」で締めくくられている。

 これだけでもじゅうぶんわかるのだが、この世代の作家・批評家にとって、戦中と戦後を貫く「何か」とは、そのまま実人生に渉ることであり、避けては通れないものだった。その切実さは文章から伝わって来る。

日沼倫太郎の批評を読むと、氏の関心がただひたすら、「自己崩壊」による「ニヒリズムの所有」で一貫していたことがわかる。その意味では、冒頭に置かれた「死と瓦礫と青空の時」こそ、日沼氏の文学的な原イメージで、彼はそれを「未来は希望でも、かといって絶望でもないといったあの入りさながらの世界」「その世界は閉じられていると同時に開かれているといった奇妙に交錯した混沌と未分化の美」と表現する。

 ここで反射的に思い浮かべるのは、敗戦直後、スターダムにのし上がった坂口安吾や、『天人五衰』のラストで〈八・一五〉という日を見事に形象化した三島由紀夫などの数人の作家である。

日沼倫太郎にとっては、こういうニヒリズムを所有した作家だけが論じるに値する存在であって、ポーズとしてのニヒリズムは最も忌むべきものであった(倉橋由美子が槍玉に上げられている)。

ところで、私が最も感動したのは、この『文学の転換』に収められている横光利一論なのであった。横光は戦前、文学の神様と崇められながら、戦後は失意の果てに死んだ。何より、決して小説が巧いとは言えないこの作家は、私のなかで長らく気になる存在であったが、日沼氏の横光論によって、横光利一という作家は、私のなかである決定的な位置を占めることになる。

実は、批評家の批評とその作家像が分かちがたく結びつき、もはやその批評なしにはその作家を考えることができない、という経験は、近代作家では後にも先にもこの横光利一と日沼倫太郎の横光論だけなのである(例外は保田與重郎の古典文学に関する評論ぐらいである。ただしこれはやはり近代ではない)。

小林秀雄ゴッホドストエフスキイモーツアルトを読んでも、論じられた天才たちの作品が実際に持つ力には到底及ばなかったし、江藤淳の『小林秀雄』も、私の描く小林秀雄には何の影響も与えなかった。

 ゆえに、横光利一と日沼倫太郎の批評の関係、これは稀有なことなのである。 それはなぜかと考えたら、理由はひとつしかない。批評が、その作家と文学を超えた、ということである。

 まちがいなくこの一編は、横光利一論では最高のものだろうし、これを書いてもらっただけで、横光利一は幸せだ、と私は思ったのだった。横光がとっくに死んでいるにもかかわらず、である。日沼氏の横光論の核は、次の箇所だ。

「かねてから私には横光はもしかすると、生涯でたった二度しかその人生を生きなかったのではあるまいか、という疑問がある。一度は『悲しみの代価』から『花園の思想』に至る初期の一時期であり、一度は『夜の靴』によって象徴される一時期、すなわち終戦から死に至る晩年の一時期である」

日沼倫太郎は晩年の三島由紀夫に対し、酔ってはよく絡んでいたという。そして三島に対し、いつ自殺するのか、あなたの文学は自殺をしないと完成しないと言い、ドストエフスキーの『悪霊』に登場するキリーロフ的な自殺を勧めていたという。三島由紀夫は、大変困っていたそうだ。このエピソードからだけでも、日沼倫太郎が紛れもない文学者だったことがわかると思う。

 それにしても四十三歳の死は早すぎる。もっと生きて、「文芸首都」の後輩である中上健次について書いて欲しかった。まったくもって不毛な願いではあるが。