私、島崎藤村、好きなんです。同業の作家たちからは嫌われていたけれど、そのスケールの大きさは近代作家のなかでも桁が違うと思っております。姪に手を出して妊娠させてそれを書けるあつかましさ。
その藤村原作の『破戒』を映画化したのがこの作品。最近、間宮祥太朗主演の映画も製作されましたが、すみません、そちらは未見です。
『破戒』は、本当の意味で日本の近代文学の道を開いた記念碑的な作品。被差別部落出身の主人公・瀬川丑松が、その出自を父から「隠せ」と言われ続けて育つ。しかし、猪子蓮太郎という思想家の影響も受けて、その出自を告白すべきか懊悩する、というもの。
とにかく、市川雷蔵のすごさがわかる。音楽が芥川也寸志で、監督が市川崑、脚本は和田夏十、何の不足があろう。大事な、牛の屠殺のシーンもちゃんとあった。
雷蔵のことに関して言えば、少なくとも、きわめて世界文学的なテーマを持った主人公をやれるだけの役者なのだと思いました。三島由紀夫の『金閣寺』を映画化した『炎上』もよかったもんなあ。瀬川丑松はこの人にしかやれないんじゃないかとさえ思ってしまう(池部良バージョン、見ていないけどあまり合っていない気がする。都会っ子だし、何よりあの声が)。自分の生い立ちとか影を、演技にうまく活かしている気がしました。
最後、テキサスへ行くくだりはさすがに変えてあったが(このテキサス、当時の時代背景がわからなきゃどうにもならない、つまり、移民です。この先の丑松にはもっと過酷な運命が待ち受けるわけですな。しかしながら、現代はおろか、制作時ですらすでにアメリカ移住のリアリティはなかったと思う)、それはそれでよし。
まず、それぞれの配役がよろしい。猪子蓮太郎の三國連太郎。はまっている。若い頃の三國は演技がオーバーであれなところもあったが、こういうヒーローは不思議と似合う。そしてその妻、岸田今日子。すごいね、セリフが明晰。存在感すげえ。
蓮華寺の住職は中村鴈治郎、この人はこういう坊主がほんとに似合いますね。ヒロインであるお志保に手を出す人徳ある僧というのが妙にリアリティあり。その妻は杉村春子。
そして、親友の土屋君の長門裕之がまたいいのよ。熱血で丑松のような翳りはない。好演してます。その他、いやな校長が宮口精二、丑松の叔父は加藤嘉。よくもまあこんなに芸達者を集めたよ。お志保の父・風間敬之進は船越英二、お志保の藤村志保はこれでデビューしたわけですが、まるでお雛様。古典的な日本人女性の顔にドキッとしました。
そして何より、久しぶりの日本映画で感じたのは、様式美ということでした。撮影が宮川一夫だからよけいにそのモノクロの美しさが際立つというのもあるのだが、信州の雪深さや、日本家屋の木や藁、曇天、屋根瓦に舞い落ちる雪など、そういった日本の風景がこれ以上なくせまってくるのである。あと、千曲川。そう考えると、雷蔵の芝居がかったセリフ回しとか、いや、日本映画のセリフ回しすら、古くは能とか、歌舞伎などにもつながる、一つの型があるような気がしたのであります。自分はまぎれもなく日本人だと思いました。因習深い、陰鬱な山国の景色は他人事ではない。
丑松が、子どもたちの前で告白のシーンは涙が出た、長回しで、雷蔵に丑松が乗り移っていた。涙を流して謝罪する姿。原作に関して言えば、このクライマックスは当時からかなり批判されたんですね。なぜ丑松は戦わないのかと。馬鹿を言いなさんな。「隠していてすみませんでした」と謝罪にまで追い込むことこそ、日本社会のリアリティがあるってもんでしょうが。現代とちっとも変わっていやしません、この国は。
あと、泣いたのは、教え子が見送りに来て、「母ちゃんから」と言ってゆでたまごを渡すところね。ゆでたまごだよ。向田邦子か(わかる人にしかわからないネタですみません)。不浄だと言われた部落民の丑松に、完全に感情移入しちゃって、人のあたたかさが身にしみました。
いい作品でした。