ロバート・ハーリングの原作•脚本がとにかく素晴らしい。ぜひこれを舞台でも観たいと思うのである。
映画を観たとき、珍しく私は、一日でも長く、母より生きねばと思った。母とは長年の確執がある。母への感情は複雑で、乗り越えても乗り越えても、乗り越えきれない。映画を観た後、母は重度の糖尿病を患うようになり、私自身も、境界型糖尿病が発覚し、この映画はまた違った意味を持つようになった。何であれ、芸術作品は、このように、自分の人生と分かちがたく結びつく。
サリー・フィールド演じる母親の演技のリアリティ。とくに、娘を亡くして、墓前で悲しむところ。女の友情を描けるアメリカのすごさ。
実際、この映画、男どもときたらまるで役に立っていない。それをあからさまに描いたりはしない。女たちは、むしろその男たちを愛してさえいる。結婚式の時間が迫っているのに、鳥を追っ払うことに夢中な父親と息子。妻の命に関わるのに、子どもをつくってしまう夫。
そして、いざ、娘の延命装置を外すとき、最後の最期まで見届けるのは母なのである。その凝視っぷり。透析をする娘のために、腎臓を惜しげもなくくれてやる母。それを支える女たちのすばらしさ、かっこよさ。ダリル・ハンナも、元町長夫人も、美容院の女主人であるドリー•パートン(この夫がまた典型的な髪結いの亭主で、息子もバイクを乗り回すばかりである)もよいが、何といってもシャーリー・マクレーンの存在感。こういう女優が、日本にいるかなと思ったね。偏屈で下品で意地悪で、実は優しい。役を自家薬籠中のものにしている。
美容院で、ジュリア・ロバーツが低血糖の発作を起こすシーンは、怖かった。ほとんど冒頭部分、これだけで、この映画の中で彼女が死ぬとわかる。この脚本家は、夫の妹を同じ病気で亡くしたらしいが、そういう悲しみを見事にフィクションに昇華させている。が、ラストがちょっとしまらない。あのイースターの場面はもう少し短くてもよかったのではないか。
ダリル・ハンナが産気づいて運ばれる幕切れはよい。こうやって、命がつながれていくわけである。死んでしまったジュリア・ロバーツの幼い息子は、役に立たない男どもの仲間入りをするんだろうか。
このラストのイースターはもちろん、娘の結婚式にはじまり、クリスマス(妊娠を母に打ち明ける)、ハロウィン(体の異変)と、やっぱり、冠婚葬祭を映画の中で描くのはよいよね。四季や、人間の生活の営みを感じさせる。小津安二郎の映画もそうだけど、だからこの映画には歳時記のような要素もある。そういうのをうまく取り込んだ映画は、厚みがあるなあ、やはり。しみじみ、いい映画だと思います。