高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

清水宏『簪』(1941)

夏休みのあいだ、山中の温泉宿に集った泊まり客たちの長屋のような人間模様を描きながら、落とし物の簪をきっかけに巻き起こる騒動とドラマが作品の中心となる。清水宏の映画(大好き)は、細部で成り立っているので、筋よりもその細部で印象に残ったところが書きたくなります。

まず、井伏鱒二の原作が気になったので、わざわざ県立図書館に出向いて読んだ。いやあこの映画、よく、井伏の世界を再現したと思う。とくに前半、温泉の団体客に怒る学者先生(斎藤達雄)。笠智衆が「にぎやかですな」と言うと、先生は「にぎやか?君はあれがにぎやかと言うんですか?あれは『うるさい』と言うんです」とかね。

原作にはないけど、こうした言語への偏執狂的なこだわりは、井伏のあの「『槌ツァ』と『九郎治ツァン』は喧嘩をして私は用語について煩悶すること」(田舎で、両親のことを何と呼ぶかで論争が起こる、ただそれだけの話なのだが大傑作)を読んでいなきゃできない。それを見事に演じた斎藤達雄は偉い。あと日守新一の気弱な男。笠智衆の「情緒的イリュージョンを壊したくない」とか、真面目なセリフの中に珍妙なおかしみが出る。

ただ、残念ながら、万年娘役であった田中絹代が、どうしてもお妾さんに見えない。宿からかける電話の蓮っ葉な口調も何だか覚束ない。友人の川崎弘子が迎えに来ることでようやく彼女がただならぬ身分であることがわかるのは、川崎の着物の着崩し方が、素人の女性のものでないから。色っぽいのである。

しかし、1941年によくこんなのん気な映画を作ったよなー。さすが清水宏。戦争の影と言ったら、笠智衆傷痍軍人(ちっともそんな風には見えず、笠智衆笠智衆である)という設定と、温泉客同士で隣組という名の同窓会を結成するぐらい。

でも、さすが、手紙や日記で時間の経過を表す手法が鮮やか。とくに、夏休みで来ている子どもの日記、学者先生が帰り、日守新一夫婦が帰り、僕たちも帰る、という3ページの日記。その日に起こったことを書け、という、何気ない笠智衆の忠告がちゃーんと伏線になってるんですね。

風景としては「有りがたうさん」そっくり。「按摩と女」もか。ラストの田中絹代は美しい。構図も含めてまるで浮世絵。笠智衆が渡る練習をした川にかかる不安定な橋を田中が行く。それを俯瞰で撮る。彼女の不安定な身分そのまま、いつ川に流されてもおかしくない身分を象徴している。石段を上る。大きな番傘と和服。ずっと洋装だったのに、ラストは和服である。

子どもたちが連呼する「おじさんがんばれ」は「前畑がんばれ」のパロディですかね。抒情性とユーモア、一筆書きのような、清水宏はもしかしたら最も日本的な監督かもしれない。俳味という意味において。