高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

衣笠貞之助『鳴門秘帖』(1957)

前の記事が陰惨なので、早めに下の方へ、下の方へと送ってしまおうと思います。というわけで映画のお話。

1957年の大映映画。原作は有名、もちろん吉川英治長谷川一夫市川雷蔵山本富士子中村伸郎滝沢修などの豪華キャストであるが、もちろん観た目的は淡島千景。思えば、おケイちゃんのおかげで、B級?映画の裾野が広がったのだから感謝すべき。おケイちゃんは忍者の隠密の娘で、行方不明の父を探しているという設定。名前は「見返りお綱」。

うん、忍者が似合っている(そう言われて嬉しい人はあんまりいないだろうけどさ)。前に観た『武蔵と小次郎』より、当然動きが多いので、身のこなしの美しさを舐めるように(おい)堪能できる。そして1957年という、絶頂期の美しさ。時代劇にも慣れて来た感じである(親か)。『武蔵と小次郎』より自在な感じ。

しかし、この人のすごさは、松竹なら松竹、東宝なら東宝大映なら大映らしい演技をすること。これには参った。結局、監督の演出で変わるのだろうけど、明らかにこの作品は市川崑の『日本橋』を最初に観た時に感じたような、大映らしい演技。

気風の良い役がよく似合う。もしくは、情念を胸に秘めた、『早春』や『鰯雲』みたいなもの。気風の良さには、当然、コメディーも入る。動きが多いこと、タンカを切るところ、この二つの魅力は、ちょっと他の女優では観られない。やはり基本は江戸っ子なのである。

それにしても、市川雷蔵、カッコよかったです。みなし児の剣術使い。長谷川一夫の隠密にライバル心を燃やす。この人の人気の秘密は、実にこの「みなし児」の雰囲気にあるのであると思うのだが、いかがでしょうか。長谷川一夫は、まさにスター、という感じ。この二人に愛される?役どころのおケイちゃんは、女冥利に尽きるだろう。

しかし、マキノ、衣笠とも、カット割りその他、ああ、昔の映画だ、と強く感じさせる。つまり、映画が出来たころの、「見せる」ことの面白さを考え抜いた映画。小津みたいな独特のリズムやスタイルがあるわけではないけど。ドラマではなく、「カツドウ」、そんな感じ。

市川崑ぐらいになると、もっとテクニックを駆使した映像美になる。映画はおおむね、人生派(ドラマ派)と技巧派に分かれるのではないか。ま、文学も同じだけど。この問題は、もう少し追究する必要がありそう。

さて、おケイちゃんの顔の小ささと、目のきれいさ(茶色い)は、はっきり言って異常なレベルである。あと、原作を読んでいないから何とも言えないけど、吉川英治って、女を描けない作家だな、たぶん。女が男社会の添え物にしかなってない。

それからラスト、時代劇だから仕方ないのかもしれないけど、書き割りすぎ。みんなが密書をめぐって命を落とす。最後の最後、長谷川一夫は「平和のため」それを破り捨てる。私はこれを見た瞬間に腰が抜けましたね。おい、それのために、おケイちゃんのお父さんは死んじゃったんだぞ!お富士さんも!と思った観客は、少なくとも三人はいるはず。

ドラマの掘り下げがないのは正直痛い。それなら、『武蔵と小次郎』の方がマシだった。あれ、ドラマ=女が描けている、なのか???一理あるかもしれない。「女が描けていない」とは、近代文学においては、男性作家へのけなし文句としては常套手段でもあるのだけど、たとえば時代物にしても、『大菩薩峠』がただの大衆文学じゃないのは、出てくる女たちの存在感がすごいから、なのは事実です。