高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

渋谷実『もず』(1961)

淡島千景週間……(たぶん、すぐ終わる)。

1961年の作品だが、この映画が完成するまでの、本来キャスティングされるはずであった杉村春子岡田茉莉子を巻き込んだすったもんだを知ってしまうと、素直に楽しめない映画。しかし、そうした楽屋ネタで左右されるということは、この映画はあんまり出来が良いものではないということである。

どうでもいいことだが、これを観た時は、実に3か月ぶりの映画で、正直ヤバイと思った。眼も含め、体が、映像を見る仕様になっていないのである。視線が無駄に画面上を滑っていく……。したがって、この感想も、甚だ断片的にならざるを得ない(いつもか)。

淡島千景演じる奔放な母親と有馬稲子の娘との確執を描いた映画だが、とにかく有馬稲子がよい。淡島千景(おケイちゃん)よりよい。今まで、いい女優だとはあまり思わなかったが、これはよい。彼女の、硬質な、可愛げのないところが、役にはまっているのだ。

おケイちゃんは、設定が実年齢よりはるか上(60歳近い)ということもあり、汚れ役に近い。でも、やっぱりおケイちゃんは私のアイドルなので、しみだらけの顔とか、崩れた姿はあんまり見たくない。シャキシャキしていて、かわいくて、色っぽくて、それでいて上品というのがいい。渋谷実も意地悪なことをしたもんだよ。

笑ったのは、真面目で泣ける(はずの)母娘の抱擁シーンのあと、「我ながらウエットでいやになっちゃう」と、さばさばした様子で画面の左隅に消えて行くところ。雨の中を飛び出して、すべって(このすべり方があまりにも自然で驚愕する)鼻緒を切り、その下駄を娘に「高慢ちき!鼻緒でもすげてろ!」と投げるシーン。

物を投げるおケイちゃんというのはなぜかとても魅力的で、特別に二重丸をあげたいような気持になるのである。「夫婦善哉」のせいだろうか。

他にも笑えるシーンは多数あります。女性たちがえげつない。容赦ない。

オニババ女将の山田五十鈴の怖さと言ったらない。最強である。清川虹子は、落ちた大根と傷んだリンゴを八百屋から三十円で買い、有馬稲子にはちゃっかり百二十九円要求する。桜むつ子(『東京物語』から比べるとかなり老けている)、乙羽信子、おケイちゃん、高橋とよで鍋焼きうどんを食べるシーンは、もうそれだけで笑うしかない。今から考えると、贅沢きわまる女優陣である。

もうね、脚本がすばらしいのである。水木洋子のすごさをあらためて実感し、このあと私は、彼女が生きた千葉県市川市にある図書館に行きましたよ。ちょっとした資料室があるんです。フィールドワーク、大事。

向田邦子が影響を受けたというのも納得。女の醜さ、エゴ、かわいらしさ、生理をこれでもかとえぐって来る。会話に、「えっ?」と思うような下ネタが多い。男っ気がないことを、女の陰部を掃除することにたとえていたり、おケイちゃんの荒み方が、男性ホルモンの不足に関係していて、「なんでわざわざ医者に行って……」と言ったり。シナリオは会話が基本になるから、そう考えるとすさまじいと思う。女にしか書けない話。女を美化すること、一つもなし。フェミニズム陣営の方々がご覧になったら、どう思うのだろうか。

この母娘が、二十年ぶりに再会し、しかし実はとてもよく似た親子であるということが、物語が進むにつれてわかってくる。その展開はまちがいなく脚本の力だし、女優二人の演技力の賜物である。意地っ張りで、どこかで男を馬鹿にしていて、投げやりで、そのくせ情にもろく……という二人の共通点がわかっていく過程が面白かった。愛を告白する川津祐介を冷たくあしらう有馬稲子は、間違いなく淡島千景の娘だと思わせる。

あとは、美術がすばらしい。とくに、遊んでいる感じのところ。「小料理 一福」の看板はもちろん、江戸川の場末の美容院に娘が訪ねて行き、外の工場で母娘が話すシーンの、その塀に書かれてある落書きとか。シリアスなシーンなのに笑える仕掛けになっている。いちいち芸が細かいのである。

それにしても、実年齢がこのとき37歳でありながら、汚れた、いやらしい女像を作ってきたおケイちゃんってやっぱりすげえや。この年の作品は、『好人好日』や『駅前団地』だよ。それにしても、DVDの映像がよくないのは不満。しっかりしろよ松竹。よけいにおケイちゃんが汚く見えるじゃないか!

渋谷実は本当に意地悪だ。でもそこがいい。