高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

成瀬巳喜男『鰯雲』(1958)

2012年の6月24日、今は無き銀座シネパトスで観た。もう10年以上前である。たしか、成瀬巳喜男特集みたいなものをやっていて、同時上映は「杏っ子」だったが、必ずしも成瀬の代表作とは言えないこの作品をなぜわざわざ観に行ったのかと言えば、はい、わが淡島千景さまが主演だったからでございます。

成瀬初のカラーワイドスクリーン映画ということだが、映画館で観てよかった。体調もあまり良くないなか、当時住んでいた相模原市からわざわざ銀座まで出てきたわけだが、冒頭のタイトルバックの鰯雲が実に美しい。農村にワイドスクリーンはよく合う。

映画は、監督のものだということを痛感。やっぱり、成瀬巳喜男は、格が違うと思った。それなりのものになっているし、なかなかどうして結構面白いのである。脚本が橋本忍で、これまたすばらしい。随所で笑えるセリフがあるのだが、それを芸達者な人たちがやるんだから、面白くないわけがないのである。また、音楽がすばらしい(斎藤一郎)。というか、映画の音楽は、映画館でこそ意識する。DVDの限界かもしれない。

ただ、相手役の木村功には少々不満が……淡島千景と張るだけの器量じゃない(このときは)。だから、二人のラブストーリーはややかすんでしまい、むしろ、戦後の農地改革による家族の解体がよく描けていて、どうしてもそっちに引っ張られてしまう。本家と分家の考え方とか。母方の実家を思い出した。典型的な没落農家だったけど、世代的にいうと祖父はこの映画の初治(小林桂樹)ぐらい。だがわたしの祖父は、いかんせん、先を見通す力がまったくなかったんだなあと思う。

旧世代を代表する鴈治郎は抜群によかったです。杉村春子も。子どもたちに押し切られ、最後は妹である淡島千景に頼る以外にない、めっきり気の弱くなった鴈治郎。そこに行くまでのプロセスがすばらしい。しかし、好きな男がいて、胸つぶれる思いなのに、しかもすでに他家に嫁いだ身なのに、頼りにされてしまうところ、かわいそうでしかたがなかったよ、おケイちゃん(淡島千景のこと)。唯一、甘え、頼れる人がいなくなってしまうという、実は一番幸薄いポジション。

同級生の新珠三千代とのやりとりはよかったです。世代は違えど、さすが二人とも宝塚のトップ。違いが明確に出ていて面白かった。これは成瀬の演出ですよね。だって、川島雄三の『赤坂の姉妹・夜の肌』ではそんなこと感じなかったもん。川島は、その役の個性を掘り下げることとかには、あんまり興味がなかったのかもしれないね。

進歩的でありながら、土に執着する旧世代の気持ちもわかるという意味で、淡島千景ははまり役だと思った。この人、本当に、前近代と近代との間に立つ役をやるために生まれてきたんじゃないかとさえ思った。だからこそ、アプレも、古風なしっかり者も、時代劇もやれるのだ。うまく表現できないが、この映画を観て初めて、この人のベースみたいなものを観た気がした……これはいずれ形にしなければ。淡島千景論、書きたいですね。女、妹、叔母、母など、その都度微妙に演じ分ける技量はさすが。

そして、木村功と初めて旅館に泊まるシーンの色っぽさ。これは『駅前旅館』と同じ年の作品だけど、この年が最高にきれいなんじゃなかろうか。理知的に人をやり込めていくのも似合ってましたねー。だからこそ木村功とのからみがつくづく残念。なんかおケイちゃん、張り合いがなくて困ってんじゃねーか(怒)。

でも、おそらくこのラブストーリーが陳腐なのは、淡島千景本人が言っているように、「メロドラマは苦手」ってことにつながる。ようは似合わないのだ。森繁とのヘンな関係とか、どこか笑えるものとか、気が狂っちゃうとか、倦怠期とか、二号さんとか、まともじゃないもののほうがいいんだろうな、この人は。

あと、ちょっと発見だったんですけど、おケイちゃんの微妙な演技、とくに目を伏せたりとか、眉をひそめたりとか、わずかな仕草から、「ああ、この人、まぎれもなく洋画を観て育った(学んだ)人だ」と思った瞬間があったんですね。この作品はモンペや和服姿なのに、そう思ったのが不思議でした。アップになるたび、なんてバタ臭い顔してるんだろうと。まつ毛のせいか?いずれにせよ、こういう格好だったからなのか。謎ではある。

ラスト、好きな男の見送りにも行かず、黙々と田を耕すおケイちゃん、神々しかったです。静かに怒りを湛えた眼、あれは、自分の運命に対するものなんだと思う。そしてこのとき使っている農機具が、確か、それまでに使っていた機械ではなく、古風なものだった気がするんですけど記憶違いか?この作品はDVDがないから確認することが出来ない。近代を捨てて、土に生きる決意を表してんのかなと思ったんだけど。

淡島千景のベースって、しいて言えば、役にのめり込まない冷静さかなあ……気さくな雰囲気なんだけど、一線、他人を寄せ付けないオーラがある。誰にも気を許していないというか。あと、ガツガツしてないのね。熱演も8割ぐらい。そう考えると、黒澤、溝口に使われなかったのはよかったのか。合わないな、うん。

と、予想通り、淡島千景のことばかりノートに書いていました、私。すみません。