高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

母との戦い(のはじまり)

母からも家族からも卒業したい。いま、わたしは、そう思っている。

先日、珍しく母と衝突した。と言っても、その関係はこれまで、決して穏やかだったわけではない。むしろ、複雑で、見えない確執の時間だった。

わたしは、不仲な両親のもとで育った。基本的にわたしは、母の口から、父の悪口と愚痴と自慢しか聞いたことがない。幼い頃から、ずっとそうだった。わたしは常に聞き役であり、命に換えても母を守らねばならないと思って育ってきた。典型的なアダルトチルドレンである(母はときどきうれしそうに、「京子は私のお母さんみたいだね」と言う)。

しかし、そのまま年を重ねたら、はっきり言って阿呆である。大人になるにつれ、少しずつ、母の欠点もわかってきた。と同時に、この親子という関係の業の深さというものに、慄然とせずにはいられなかった。

今回の衝突は、母に対して私が珍しく感情をむき出しにしたことから始まる。でも、今までとは何かが違う。母に、わかって欲しいとか、変わって欲しいとか、そういう気持ちが微塵もないのである。いよいよ、ようやく、母から自立する時が来たのか。

わたしが、母に対して許せないと思っていることは、とりあえず三つ、ある。わたしはこれを自分の感情を整理するために書いている。

①小学校のときに、「夏休みはお母さんの手伝いをして楽をさせたい」と書いた作文について、「綺麗事の作文ばっかり書きやがって」と吐き捨てるように言われたこと。母は、新聞の読者欄に投稿するなど、文章を書くことが好きである。そしてわたしは書くことを仕事にしている。わたしは何とか母に認めてもらいたい、褒められたいと思っているので、いちいち報告してきた。そのたびに母の態度は硬化する。その繰り返しである。今回の衝突もそうだった。そしてわたしは、はじめて思った。母を力でねじ伏せようとするのはもうやめようと。傷つくだけである。

②これもまた、小学校のとき。大晦日の買い出しに母と出た。父は家で浴びるように酒を飲んで暴れていた。母はわたしに、「お母さんはこのまま出て行くから、お父さんに伝えて」と言って姿を消した。私は震えながら帰宅し、父にその旨を報告した。夜、父は眠り、幼い妹と弟を寝かしつけたわたしは、戸締りをして自分も寝ようとした。そこで玄関の戸を叩く音。母だった。「あんたはお母さんが帰ってくるとは思わないのか。鍵を閉めるとは何事だ。あんたみたいな冷たい子は見たことがない」と言われた。わたしは、どうすればよかったのだろう。

③これは成人してから。弟が、荒れた時期がある。母は、自分の子どもと向き合うことが出来なかった。弟と会話することは、すべてわたしに押し付けられた。にもかかわらず、「あんたはこの家で何も役に立っていない」と言われた。あれは何だったのだろう。

これを書いていてつくづく思うのは、母がわたしに甘えているということである。何をしても、何を言っても許されると思っているのである。わたしは大学入学と同時に実家を離れた。しかし、母の呪縛から逃れたわけではない。今回、母を突き放したのに、突き放されたような気持ちになっていることに、わたしはぞっとする。

こういう、もろもろの業から自由になりたくて、わたしとして生きたくて、わたしは文学をやってきた。いいかげんに、さすがに、もう、わたしは幸せになりたい。自由になりたい。だから、ここで自分に負けるわけにはいかないのである。結局、自分のなかにある、母への執着が原因なのだから。でも、できることと言ったら、いつも通り、たんたんと研究しては文章を書き、詩を書き、短歌を詠んでいく以外にないのである。

だから、文学、やります。これからも、死ぬまで。