高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

言葉に操られる女

所詮、言葉なのである。言葉がすべてなのである。

言葉ありきで生きているので、それはしばしば、自分の首を絞めることになる。言葉は序論であり、本論であり、結論であり、スタートであり、途中であり、ゴールなのだ。

たとえば、「先生」。私は教員をしている。もうそれだけで、「先生」という言葉に見合うだけの教員になろうとするのである。そこには、自分が見てきたありとあらゆる「先生」が詰まっている。現実で出会った人、本で読んだ人、映画で観た人。そして、まるでこの世の者とも思えない、ザ•先生を目指す。いや、そう在り続けようとする。

理想主義、と言えば聞こえはいいが、そんな生易しいものではない。度の過ぎた完璧主義、それでもまだ足りない。「先生」というたった二文字が、骨の髄まですべてを決めてしまうのである。そして、言葉にちっとも近づくことができない、現実の自分を責める。結果、どうなるか。

病気である。はっきり言って阿呆である。

これに、もの書きとしての、言葉へのこだわりが加わる。狂っている。私にプライベートなどない。常に言葉がついてまわる。

所詮、今のおまえの、ちっぽけな世界で認識した言葉に過ぎないんだぞ、そう思いつつ、私は言葉に操られっぱなしである。言葉とともに踊り続ける。そして、一日が終わる。

きょうは、論文を、2000字書いた。