所詮、言葉なのである。言葉がすべてなのである。
言葉ありきで生きているので、それはしばしば、自分の首を絞めることになる。言葉は序論であり、本論であり、結論であり、スタートであり、途中であり、ゴールなのだ。
たとえば、「先生」。私は教員をしている。もうそれだけで、「先生」という言葉に見合うだけの教員になろうとするのである。そこには、自分が見てきたありとあらゆる「先生」が詰まっている。現実で出会った人、本で読んだ人、映画で観た人。そして、まるでこの世の者とも思えない、ザ•先生を目指す。いや、そう在り続けようとする。
理想主義、と言えば聞こえはいいが、そんな生易しいものではない。度の過ぎた完璧主義、それでもまだ足りない。「先生」というたった二文字が、骨の髄まですべてを決めてしまうのである。そして、言葉にちっとも近づくことができない、現実の自分を責める。結果、どうなるか。
病気である。はっきり言って阿呆である。
これに、もの書きとしての、言葉へのこだわりが加わる。狂っている。私にプライベートなどない。常に言葉がついてまわる。
所詮、今のおまえの、ちっぽけな世界で認識した言葉に過ぎないんだぞ、そう思いつつ、私は言葉に操られっぱなしである。言葉とともに踊り続ける。そして、一日が終わる。
きょうは、論文を、2000字書いた。