高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

地獄界について

「人生は地獄よりも地獄的である」(芥川龍之介

 

地獄界とは、仏法だと、生命状態のひとつで、苦しみに打ちひしがれた不自由な状態、境涯を指す。いわゆる「イメージ」として定着している、火あぶりにされるとか、閻魔大王に舌を抜かれるとか、そんなものではない。

たとえて言うなら、ガンジス川はひとつであるが、それを地獄の業火と見るのか、たんなる水と見るのか、甘露だと見るのか、それは各々の境涯で決まる。そういうことである。

私には、「見る」ということに異常な執着があって、若い頃、熱心に写真をやっていたときにも、それは感じていた。

当たり前のようで、実は論理的に説明するのが難しいことだと思うが、たとえば三十人で同じものを撮っても、写真は、同じものはひとつとして上がらない。それは、やれ構図がどうとかコントラストがどうだとかいう次元ではなく、撮る側の心がそのまま反映される不思議さであった。

話が若干それるが、裸を撮って、芸術になるか、猥褻になるかという、昔はずいぶん繰り返された論議も、結局は作り手の境涯に由来する(念のため断っておくが、私は、猥褻な写真だから境涯が低いとは思わない)。

言葉だってそうである。

 

さて、なぜこんなことを書いたのかと言えば、私が日常生活の中で見た、ささやかな地獄を、ふと、書いてみたくなったからである。

以前、ある地域の公立高校二校で非常勤講師をしていたときのこと。そのうち一校は、伝統的な進学校、名門校だ。もうひとつは、市内の教育困難校――いわゆる「底辺校」というやつである。

そんなわけであるから、双方の職場で、もう一校の兼務校がどこであるかを言うと、100%の人が一瞬、のけぞっていた。そのぐらい、どちらも名の知れた学校なのだった。意味は反対でも。

この進学校を仮にA高校、底辺校をB高校としておこう。

このB校で文化祭があった。現代の教育現場の荒廃はすさまじく、こうした行事は、一部の上位校を除き、生徒が中心で行事を運営するのは不可能に近い。すべて教員がお膳立てをする。それならいっそやらなくてもいいのに、とも思うが、とにかく教員の仕事の多さは尋常ではなく、そのほとんどはまったく無駄なものである。

いったい、このB校というのは、髪型やその色、服装、素行、学力、家庭環境、とにかく県内でも有数の底辺エリート校である。煙草やバイクはもちろん、呼吸をするように物を盗む者が結構多い。これは一種の病気で、なかなか治らない。万引きはもちろん、校内での盗難も多く、各々が自衛をするしかない悲しさである。そして当然、学校は汚い。異臭が漂っている。私の黒のスニーカーは、埃のため、勤務二日目で真っ白になった。

そんな学校が文化祭をやるというのだから、察していただけるだろうか。外部への一般公開は10:00から14:00のたった4時間、厳戒態勢である。

開始1時間で、盗撮をしている男がいるという連絡があった。外部からの客である。こういう荒れた学校は、そういう輩を不思議と呼び寄せる。そのうち、盗撮者は4人に増えた。皆外部の人間だった。教員が現行犯で一人は取り押さえ、警察に通報した。開始2時間でパトカーが2台来る学校はそう滅多にあるものではない。

門のまわりには、肩を出したドレスで着飾り、厚化粧をした何人もの女子生徒が呼び込みをやっている。その衣装も化粧も悲しいかな、ちぐはぐで安っぽい。ドンキあたりで買ったのだろうか。どこか他校の生徒か、それか学校に通っていない者か、まだ幼さの残る顔をした少年たちが、道路をふさぎ、民家を取り囲むようにして煙草を吸っている。他人様の家のポーチの石段に座り込んでいる者もいれば、塀に登っている者もいる。それにしてもこの家は、なぜこんなところに家を建ててしまったのだろう。教員が二人、その人込みを縫うようにして、腰をかがめてゴミ拾いをやっている。

こうした子たちは、陽気にバカ騒ぎをするし、無茶もするが、その目は暗い。その暗さは、端的に言えば、この年齢で人生が決まってしまっている暗さなのである。彼らは、よほどのことがない限り、限られた世界の外を見ることがない。

 

職員室には何人かの教員が待機をしている。そのなかの一人に、私のいけすかない奴がいた。何となく虫が好かない奴というのはいるものだ。その教員は、学年主任をやっているぐらいだから、おそらく仕事はできるのだろう。だが、彼の学年は最も荒れていたし、しかも、近年稀にみる荒れ方だった。出世する人間は責任を取らない。そういう姿勢も気に食わなかったし、「そろそろ消えてもらう奴のリストアップをしないとな」と大きい声で言っているのも嫌だった。こういうことは、思っていたとしても、大勢の場では言うことではない。

だが私がもっとも嫌だったのは、この「底辺校」で、インテリぶりを発揮していたことだった。よく、さりげない知識をもとに、大きな声で気の利いた風なことを言っては周囲を笑わせる。皮肉屋を自称しているらしかったが、私にはそれが精一杯の背伸びにしか見えなかった。

そしてこの日も、滔々と、文学の話をしていたのである。「○○先生は本当に色々な本を読んでいらっしゃいますね」という、またバカな教員がうっかりおべんちゃらを言ったばっかりに、我が意を得たりと話し始めたのだった。小学校から文学全集を読んでいたことや、どんな作家を読んできたか、宮部みゆきからドストエフスキーから、幅広く、「でも、モッパーサンやO・ヘンリーとかは怪しいけどね」。

私は静かに辞書を引いた。やっぱり。「モッパーサン」ではなく、「モーパッサン」である。当たり前だ。私は読んでいるし。

しかし、私はそのとき、なぜこんなに彼が嫌いか、はっきりとわかったのだった。私は彼の姿に、自分の成れの果てを見たのだ。インテリとしてのプライド、自分は本当はこんな底辺校で働くような人間じゃない、仕方なく教員になったのだ、でもそこでも俺はこれだけやっているじゃないか――。そんな、彼の長年のわだかまりが、「モッパーサン」の一言で亀裂が走り、底知れぬ深淵を垣間見せたのだった。

それは地獄だった。死んでもこうはなりたくないという、でもいつのまにかなってしまっているかもしれない私の姿だった。

 

余談になるが、同じようなことを私はA校でも経験した。私はある文章の解釈をめぐって一人の教員と対立した。私は絶対に自分が正しいことがわかっていたが、それを学問的に説明することができなかった。高校の国語と、学問としての日本語は違う。

私は、別のベテラン教員のところに連れて行かれた。そして私の意見は否定された。このベテラン教員は、その学校における「国語の大家」だということだった。私は悔しくて、後で涙を流した。論破できない己の学問的未熟さにも腹が立ったが、たかだか一県の進学校の教員ぐらいで、「大家」を気取る奴がいること、そんな小さな世界に身を置いている自分が情けなくてたまらなかった。

しかし、後になって気づいた。お前こそ「大家」を気取っているのはないかと。つまり、このまま行けば、私はこの「国語の大家」とやらで満足している(潜在的には決して満足していないのであるが)輩と、同じになってしまうのだと。このときも、私は、自分の成れの果ての姿を見たのだった。

自分のなかで何とか折り合いをつけ、帳尻を合わせ、自分の本心などというものはなるべく見ないようにし、そしてそれを絶え間なく繰り返していったとき、いつのまにか、それは地獄になる。脱け出そうとしてももはや脱け出すことができない、不自由の極みである。

はたから見たら、地獄でも何でもないこの二つの出来事は、私にとって、地獄以外の何ものでもなかった。あさましい自分の姿を見た。地獄は自分の心のなかに、あなたのすぐ隣りにもあるのである。