久しぶりに、ちょっとだけ、書く。
わたしは教員をやっている。このブログの他に、noteでは詩を書いている。最近では、短歌も始めた。その内容は、必ずしも教員にふさわしいものではない。死ねとか、地獄に堕ちろとかいう詩、あるいは短歌。
だから、最初は、書くことも、発表することも、迷った。職場のひとに見られたらどうしよう。学生が読んだら、どう思うか。でも結局、表現したい気持ちがすべてに勝った。
信じてもらえないかもしれないが、教員の仕事より、X(旧Twitter)のひとことが自分にとって重いときがあった。アカウントの削除を求められたら、仕事の方をやめよう、そう思ったときもあった。
どうしても、言わなければならなかったことば。すべてを犠牲にしても、たとえば、あらゆる人間関係を失ってしまうようなことになるとしても、書かなければならなかったことば。文章。そういう表現こそ、最も美しいのではないだろうか。
そして、表現にいちばん必要なのは、たぶん、「怨念」だということ。踏みにじられた尊厳。裏切られた真心や愛。憎しみ。怒り。悲しみ。そういう、いわば負の感情が別のものに昇華したとき、その表現は力を持つ。生命が宿る。
わたしは、そんなものを、書きたい。