高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

鈴木真砂女『銀座に生きる』と俳人の散文

「文士」という言葉には、サムライの文字が入っている。  

 中上健次が、まだデビュー間もない頃、遠目に、和服姿の佐多稲子を見て、何とかっこいいのかと思ったことがある、と誰かとの対談で話していたけれど、このときの佐多稲子は、紛れもなく「文士」の姿だったのだろうな、と思う。写真でしか見たことがないけれど、あの、背筋がピンと伸びた姿(画像はどこかで探してください)は、中上でなくとも、こちらが一瞬たじろぐほどのかっこよさがある。しかも、老いてからの方が断然良いというね。

鈴木真砂女も、私にとってはそんな人で、紛れもなく「文士」の顔をしている。今、手元にあるこの文庫本のカバーにはその顔写真が載っているが、まあなんと惚れ惚れするほどの凛々しさ、美しさ。仕事を終え、ぼんやりと「ゆず七味せんべい」(お土産)なるものを食べながらこれを書いている私は、はたしてこんな風に年を取ることができるのか。

毀誉褒貶にさらされながら、それでも毅然とした態度を失わず、いつしかふっと凪の状態になったような、風も雪も止んでしんと静まり返ったような、その人のまわりだけ空気が違うような、そんな境地になって生きている人というのが、稀にいる。もちろん、そういうふうに見えるということは、心には常に嵐が絶えないわけですけれども。  

二百年とも三百年ともいわれる、安房鴨川の古い旅館の娘として生を受けた著者は、恋愛結婚をするも夫が失踪し、一人娘の可久子(文学座の女優)を連れて実家に戻る。ほどなく、旅館を継いでいた長姉が急逝し、そこで著者は義兄と結婚、旅館の女将になる。

昔はこんなことが当たり前だった。しかし、新しい夫とはうまくいかず、著者は家を出る。妻子ある人との恋愛。いったん生家に戻るが、今度は旅館が焼ける。再建する。そして、五十歳で、今度は本当に家を去り、無一物からの人生が始まる。  

そんなことがきびきびとした、抑えた筆致で書かれている。これは先入観なのかもしれないが、何というか、俳人の散文だなあと思うのである。 私は短詩に対して永遠の憧れがあるから、そう感じるのかもしれない。 

私は、「銀座『卯波』開店」の章がもっとも好きである。ここの女将としての日常を描いた部分が、なかんずく好きである。  

いつもの通り魚河岸へ買い出しに行く。  隣に酒屋があるので特別のものとか、俳句作り以外は場外には行かない。朝起きて八百屋はいつもの通り電話注文すれば配達してくれる。その他海苔とか梅干しとか、けずり節など配達しないものは自分で買って提げるのであるが、いくら両手にたくさんの荷物を持っていてもタクシーは使わない。ケチってではない。遊びのときはやたらタクシーを使うが、こと仕事となると別である。築地六丁目でバスを降り、あちらこちら買物をして八百屋にその日の注文の支払いをすませ、あと従業員のおかずを買う。おかずは私の係りなので頭をなやます。肉のときもあれば魚のときもある。カレーライスは私独特のものなので特によろこばれ、お客さんからもいつ作るの? と催促をうける。築地三丁目からまたバスに乗って銀座四丁目で降り一丁目まで歩き、途中銀行に寄って店へ入るのが大体十一時半位である。  

いやはや、どうですかこの文章。しかも、この時間の身体の動きが流れるように伝わって来るじゃありませんか。  

俳句では、食べていけない。しかし、仕事として選んだのが、銀座の小料理屋の女将というのが、またこれ粋で、しかも似合っていて、羨望の念を禁じ得ない。しかし、人生は、その都度真剣に生きていれば、の留保付きで、結局その人に似合った道しかひらかれない。私が銀座で小料理屋などをやっている姿なぞ、どう頑張っても思い浮かばぬ。  

結局、最初に書いたカッコいい女性というのは、その時その時必死で、そういう選択しかできず、でもなぜかそれがその人の人生に似合っている、そんな生き方をしてきた人しか、結局なれないのである。そして、恐ろしいことに、それはある程度の老いを迎えないとわからないという話。  

というわけで、自分の人生でひとつ実験してみるか、というのが今の心境なのであります。