高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

人称をこえて(ジェンダーの話など)

日本語の人称に、ずっと関心がある。文学をやっているのなら、当たり前のことだろうけど。一人称にひとつとってみても、「私」「わたし」「僕」「俺」「われ」「吾輩」それこそ無数にある。英語ならどれも「I」の一文字で終わってしまう。ちなみに、文学作品における「私たち(我々)」についての研究発表、論考もあります(「日本文学における『私たち』の<語り>と<読み> 、ワークショップ 『私たち』の<事態把握>と『語り』--『語り』の空間の構築と共有、「日本認知言語学会論文集」、2010)。

高校のとき、英語の教科書の後ろに日本文学の英訳が載っていて、夏目漱石の「吾輩は猫である」の冒頭が「I am a cat.」だったことに激怒したことも懐かしい思い出である。ついでに言えば、川端康成の「雪国」の冒頭、「国境の長いトンネルを出ると雪国であった」を英語にすると、主語が「The train」になるのも、正直どうかと思うのだが。

というわけで本日は人称の話である。

私は詩を書くのだが、その際、「僕」や「私」「わたし」あるいは「俺」さえも自由に使い分けている。何というか、この詩はもうこれしかないという感じで、その人称を使っている。虚構の場合はもちろん、自分のことを書いた詩でもそれは同じだ。この問題は結局、私自身の性がはっきりしないこと、つねに揺らいでいることに大きく関係している。いちおうノンバイナリーのバイセクシュアルということにしているが、それも何だかなあと感じるときがある。

それにしても、表現の世界の、何と自由なことよ。現実生活において、私は「私」「わたし」という人称を使わざるを得ない。しかし文学ではやすやすとそれを超えることができる。人称をこえるということは、作品世界を豊穣にすることでもあるのだ。

だからなのだろう、私は、ミュージシャンにおいても、女性ならば心のなかに「僕」がいるひとが好きだ。Coccoとか、宇多田ヒカルとか。女性の歌い手で「僕」の世界を最初に意識的に展開したのはおそらく渡辺美里だろう。大昔に、たしかそんなテレビ番組をやっていた。そういう意味で、彼女はもっと評価されて然るべき存在である。1975年生まれの私だが、同世代で、渡辺美里を聴かなかった人はいなかったのではないか。

坂口安吾のエッセイを読むと、戦前は「僕」が多いのに対し、戦後になると「私」が増える。しかし不思議なものでやはり文学者、年齢を度外視しても、「僕」は「僕」以外考えられないし、「私」はどこまでいっても「私」でしかない。

「僕の仕事である文学が、全く、それと同じことだ。美しく見せるための一行があってもならぬ。美は、特に美を意識して成された所からは生れてこない。どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて、書きつくされなければならぬ。ただ「必要」であり、一も二も百も、終始一貫ただ『必要』のみ」(「日本文化私観」、1942)

「私は血を見ることが非常に嫌いで、いつか私の眼前で自動車が衝突したとき、私はクルリと振向いて逃げだしていた。けれども、私は偉大な破壊が好きであった。私は爆弾や焼夷弾に戦きながら、狂暴な破壊に劇しく亢奮していたが、それにも拘らず、このときほど人間を愛しなつかしんでいた時はないような思いがする」(「堕落論」、1946)

日本武尊は女装した。江戸川乱歩の「黒蜥蜴」の主人公は女性でも自分を「僕」という。この作品、なんと1934年に書かれた。私は乱歩作品のなかで短編を除けば「黒蜥蜴」を偏愛しているが、それも結局、ジェンダーレスな部分に惹かれたのかも知れぬ。

そう、日本の文化は性に関しては古来より非常に多様なのである。もしかすると、多様性に最もふさわしい国なのかもしれない。しかし現実は、まあとにかく、生きづらいね。