高山京子のブログ

高山京子(詩•日本近現代文学研究)のブログです。基本的には文学や映画のお話。詩作品はhttps://note.com/takayamakyoko/へ。Xは@takayamakyokoへ。

ひとつの区切りとはじまりの合図ーー2023年を振り返るーー

2023年が終わろうとしている。今年は激動の一年だった。

依頼の原稿の仕事も(私にしては)多かったし、11月には昭和文学会の秋季大会で学会発表とシンポジウムも経験した。詩も書いた。短歌も始めた。でも一番は、人間関係が激変したことである。たくさんの出会いがあった。何より再会があった。それは私の人生に、いま、大きな変化をもたらそうとしている。ふと、これまでの人生のある出来事に、ひとつのケリをつけたくなった。そこで、この場を利用して、思いつくままを書いてみようと思う。

私は文学をやっているが、それは、誰にも触らせたことがなかった。家族はもちろん、今まで付き合ったひとたちの誰も、その領域に入ることを許さなかった。誰にもわかって欲しくなかったし、わかるわけがないと思っていた。

かつて私は、ある女のひとを愛したことがある。そのひとは、誰よりも私の文学を応援してくれていた。少なくとも私は、そう信じていた。しかし私は、そのひとでさえ、私の文学に触れることは許さなかった。あるときそのひとに、こんなことを言われた。「あなたはどんなときも心を乱さない。乱しているようなときでも、きちんとシャツを着てボタンをはめている」。私はその意味がわからなかった。そのひとと別れたあと、この話をしたところ、親しい友人が言った。「かわいそうに。そのひと、シャツのボタンのはずし方を知らなかったんだね」。

いまとなっては、これが、文学だったのだと思う。文学に触らせないということは、つまり、何も心を開いていないのと同じだったのだということに、最近ようやく気がついた。もしかしたら彼女には、申し訳ないことをしたのかもしれない。だが、いまとなってはどうにもならないことだ。

別れるとき、彼女は私に「あなたには文学がある。それにずっと嫉妬していた。私には何もない」と言った。そう言われる前から、私は、彼女にとって、私が文学をやることは、実は面白くないことなのかもしれないということを、おぼろげながら感じていた。別れる前、私は初の単著を出版していた。『林芙美子とその時代』である。彼女にも贈った。だが、何の反応もなかった。少なからずショックを受けた。私は詰った。すると彼女はこう言った。「あなたの本があまりにうれしかったので、大切に仏壇に供えていた」と。人生で、このときほど傷ついたことはあまりない。

別れてからも、彼女のことは何度も詩に書いた。しかしそれは未練ではなかった。謎として残されたものを解明したかっただけだった。リアルな彼女はもういらなかった(事実、私は、別れるときに、「新しい人生を始めたいのだからもうつきまとわないでくれ。私の前に二度と姿を現わさないでくれ」と告げている。私にはこうした容赦のないところがある)。言い換えるなら、文学のモチーフとしての彼女はまだ必要だった、ということになる。

でも、今年、ある詩を書いて、ひと区切りがついたような気がした。これはまだ公にはなっていないが、ゆっくり、時間をかけて書いた。あるひとにだけは、完成前に、その詩を読んでもらった。私のなかに変化が起こった。彼女のことは、もういいかな、と思うようになった。

繰り返すが、私はこれまで、文学をやる自分を誰にも触らせなかった。だがいまは、その文学をやる自分ごと、預けてもいいかなと思うひとがいる。この詩を読んでもらった「あるひと」にだけは、自分のすべてを曝け出してもいいと思っている。私はそのひとから愛されているという実感があるし、私もそのひとを愛している。事実、毎日、そのひとに私は救われている。

文学をやる私だからこそ言えることがある。私はこれまで、たくさんの文学に救われて来た。だが、最終的にひとを救うのは人間だ。年をとったいまだからこそ、それははっきりと言える。そもそも人間がいなければ、文学もないんだものね。

2023年は、そんな一年だった。2024年は、どんな年になるか。そんなの、生きて、文学をやるに決まっているじゃん。それだけだよ。