この年まで生きてきて、それなりにいろいろあったが、言葉だけは、誰にも奪えなかった。言葉だけは、わたしのものだった。いや、わたしが、言葉そのものだった。
今までにも何度か書いてきたが、わたしは両親が不仲の、暗い、殺伐とした家庭に生まれ、育ってきた。そのことについてはもう繰り返さないが、つらかったことのひとつに、両親からの言論弾圧があった。
そんなことを言うな。これはいまでも父の口癖である。家のなかでは、父の気に入らないことは話題にしてはいけなかった。ひどいと平手が飛んできた。母は、ひとことで言えば愚痴の人。わたしのことばを聞くことなど、なかった。
ほんとうの言葉は、いつも、本のなかにしかなかった。生きた人間の言葉は、いつも皮膜がかかったように、遠かった。わたしが文学の人間になるのは、必然だった。
ところで、わたしはノンバイナリーである。幼い頃から、男言葉と女言葉をちゃんぽんにして使っていた。いや、それだけではない。仙台人でありながら、関西弁も話す。おかしなイントネーション。語句の選択。それが、母の気に入らなかった。女の子らしい言葉遣いをしなさい。何度、そう言われてきただろう。
ところが、である。両親に恐怖を感じ、愛に飢えていながら、言葉遣いだけは、ついに直すことができなかった。わたしの魂が死守したのかもしれない。言葉だけは、いつだって、わたしのものだった。
それからも、言葉を奪われそうになることは何度も続いた。職場。付き合った人たち。わたしの言葉を侵略してきた人たちは、いつしかいなくなった。わたしはひとりになった。しかし、言葉だけは変わらなかった。魂が死ぬような経験をしても、言葉だけは、生きていた。
言葉を奪うことは、悪である。言論弾圧は、人間の魂を殺す。精神の自由の基本には、言論の自由がある。
わたしは、大学教員だ。文学を教えている。自分の授業のモットーはたったひとつ。誰の、どんな読みも否定しないこと、この場でだけは何を言ってもよいこと。
いまの恋人は、わたしの言葉を一切侵略しない。弾圧もしない。それどころか、何を言っても面白がってくれる。悪罵さえ、楽しそうに聞いている。あまつさえ、褒めてくれるのだ。そして、会話は無限に発展していく。嗚呼、こんな幸せがあっていいのだろうか。ようやくわたしは、心の安定を得た。
わたしは相変わらず、わたしにしか使えない言葉で話し、書く。それは死ぬまで変わらないだろう。わたしの言葉は、誰にも奪うことはできない。だって、わたしが、言葉だから。